Rouge - Pigeon blood - ( 3 )

「あれ? ―― それは?」
 ふと、カヲルが私の開けた鞄に入ったままの小さな紙袋を指差した。すっかり忘れていたそれを取り出すと、私はそのままカヲルに手渡した。
「靴箱に入ってたの。」
 紙袋をためつすがめつするカヲルに、帰る時に気がついたから誰が入れたのかは判らない、と云うと、ふぅん、と、カヲルは面白そうに鼻を鳴らした。
「誰からかの君へのプレゼントだよ」
「プレゼント?」
「そう。贈り物。君へのね」
 私への、といわれても、よく判らない。人は何かの理由があってそういうことをするのだという知識はあった。誕生日、クリスマス、そういった区切りの時に。彼やカヲルから、綺麗に包まれた贈り物を貰ったこともある。でも、今日は私の誕生日でもなく、クリスマスでもない。
「…誕生日じゃないわ。それでも?」
 カヲルはくすくすと笑いながら、頷いた。…判らない。でも、カヲルが頷くなら、そうなのだろう。私とカヲルには学ばないといけないことが多いけれど、その内容は微妙に違う。私は人の送る生活そのものについてはカヲルよりも少しは適応できる。けれど、人の心の有り様については、カヲルの方がずっと理解しているのだと思う。
 開いていたほうの手で私の手を取ると、紙袋を私の手のひらに乗せた。
「開けてみれば?」
 声の調子で判る。そのプレゼントを私よりもカヲルの方が面白がっている。カヲルはどんなことにも興味を示すから。私は銀青のシールを剥がして銀色のリボンを解いた。さらに身を起こして覗き込んでくるカヲルの前で、小さな白い紙袋を逆さにする。
 ころり。
 シーツの上にまろび出たのは真ん中で銀色と赤に別れた小さなもの。太さ1センチ、長さは8センチくらいの円筒形をしている。

  …これは何?
  見たことのないもの。
  でも、

 私はシーツの上のそれを手に取って見つめた。何のためのものかは判らなかったけれど、銀と赤のそれはとても綺麗に見える。
 ちょっとかしてごらん、といわれてカヲルに手渡すと、カヲルはそれを真ん中から軽くねじった。どうやら色の変わり目で蓋と本体になっていたようだ。銀色の蓋になっていた方には百合の雄蕊のようなものがついていて、それは透明な赤に染まっていた。
「…口紅かな?それともグロス?…どっちにしても、意味深だね」
 雄蕊を濡らす透明な赤は、まるで溶け出したルビーのようにつややかだ。
「透明だからこれはグロスかな。赤木さんや葛城さんが時々してるだろう?」
 そういってカヲルは酷く楽し気に微笑んだ。カヲルの機嫌が悪いことは滅多にないけれど、なんだか、今日のカヲルはいつもに増してとても機嫌がいいようだ。
「これに、何か意味が?」
 私が手を延ばすと、カヲルはそれをやんわりと遮った。赤い小さなボトルを転げないように置くと、返す手で私の顎をふわりと捉える。
「レイ、じっとして…軽く唇を開いてみて」
 私が云う通りにすると、カヲルは手にしていた赤い雄蕊を私の唇に滑らせる。ひんやりとした感触、蜂蜜のようなかすかなとろみ。
「贈り主は、よっぽど君が好きなんだね。この赤は、レイの瞳にとても良く映える。君をとてもよく見ている証拠だ」

  ―― すき?

「…まだ動かないで」
 笑みを含んだ声でカヲルが囁き、私は問いかけることができないまま、雄蕊が唇を濡らすのを感じている。雄蕊はさらに私の唇を撫で、カヲルは最後に小さく首を傾げてから頷くと、キャップを締めながら微笑った。
「これでいい。 ―― レイは綺麗だね。君は真っ白だから、赤がとても似合うよ」

  …いいえ、綺麗なのはカヲルのほうだわ。

 心からそう思ったけれど、きっとそれを云っても今のカヲルには『そんなことない』と笑われてしまうだろう。こういう時、カヲルは私や彼のことをとても大切な宝物か何かのように扱う。まるでその白い手の中で傷一つなく磨こうとするかのように。
「判らないわ、カヲル。好きならどうして贈り物をするの?」
 カヲルの白い体はシーツを纏わせただけの姿で、細い体がオレンジの縞模様に染まっている。普段は忘れているけれど、こういう時に思い出して、ふと還りたいと思うことがある ―― あの赤い水槽に。あの中では、すべてが私で、私がすべてだった。時間もなく、方向もなく、ただ私の境界が無限に広がるような開放感。あの中で、きっと私はあなたにも遭っていた。
 私がカヲルの肩に頭を持たせかけると、カヲルはやんわりと腕を回して私をそっと引き寄せた。
「例えば、街で見かけた白いワンピースが、君にとても似合うだろうと僕が思ったとするよね」
 とても近くにいるせいで、触れてるところからカヲルの声が直接私の体の中に響いてくる。カヲルの独特な甘くて透明な声。それはエコーを返すように私の中で反響して微かな振動を生む。私達の間に生まれるそれは、まるで調律に使う音叉の共振のようだ。知らないうちに狂いかけていた何かがもとに戻っていくような甘い波。
「僕はそれを君に着てみて欲しいと思うし、もしかしてこれを贈れば君が喜んでくれるかも知れない、と想像する」
 ああ、なんて心地いいの。私はカヲルの声がとても好き。いつまでもこうしていたい程に。
 長い指が、私の髪を梳く。
 私には判る。カヲルは私のアダム。私と彼は同じもの。水槽に戻らなくてもこうしてすんなりと混じりあえる。響きあえる。私はあなたで、あなたは私。
「君に喜んでもらうためと同時に、その想像は僕のことも幸せにする。そしてどんどん膨らんでいく。ワンピースに似合う靴、白い日傘、君の指を飾る石、そして、唇を染める赤 ―― 僕達以外にも、こんなにも君を思ってる人がいるのは嬉しい驚きだね。鏡を見てみるかい?」
 私は微笑んだ。
「いいえ、こうすれば、見なくても判るもの ―― 」
 白いカヲルの頬に手を添わせると、私はその薄い唇に口づけた。低い体温。カヲルの唇がいつもとは違う感触なのは、この赤のせいかしら。啄むように唇を合わせて、色を移す。
「…似合うわ、カヲル」
 その容貌は確かに少年のものなのに、唇をうす赤く染めたカヲルは瑞々しい花のように綺麗だった。
「僕が似合っても贈り主は嬉しくないんじゃないかな」
 ピジョンブラッドの瞳に浮かんだ楽し気なきらめきが、赤く染まった唇と引き合って、肌の白さがより際立って見える。真っ白なのはカヲルだわ。彼が時々覚めない眠りに落ちるのは、浄化を必要とするせいではないのかしら。

「でもね、これをくれた人の気持ちも判るけど…」
 くすくすと笑いながら(…それはカヲルの癖だ)カヲルは顔を近付けてきた。唇が触れて、深く熱い舌が絡み合う。私は手をカヲルの首に絡めた。触れあうことに段階があるとするなら、最初のふれあいは視線だ。そして最後のふれあいが、こういうキスや ―― 唇が離れ、私は思わずため息を漏らす。
「…は…ぁ、」
「レイが本当に一番綺麗なのは、なにも飾らない時だと僕は思うよ」
 キスの間からカヲルの手は私の背中を何度も撫でていた。触れられているところから沸き上がる安堵。早くなる心臓の鼓動。滑る指の感触。一つになりたい。私は自分からリボンタイを解いた。そして私の望みはカヲルの望みでもある。それらは言葉にしなくともこうして共鳴するのだ。
 カヲルがブラウスのボタンを外す間に制服のスカートのホックを外した。体にまとう布。私にも、本当はこんなものは煩わしい。人の社会にはルールがあると判っているから着ているだけ。人の中で生きることに後悔はないけれど、時々不思議に思うことがある。何故、わたしはわたしのままではいけないの?私達だけでなく、きっと誰もが、生まれたままが一番綺麗なはずなのに。

 カヲルの指が、腿を滑って辿り着く。もう下着が濡れているのが判る。滑り込んできた指を感じて、私はカヲルをシーツに押し倒してしまう。私の中には大きな穴があって、私はそれを埋めたいと望む。けれど私の背中には羽がある。カヲルの背にあるものと同じ羽、眼には見えないけれど、確かな波動を感じる。上り詰めるからだとこころに合わせて震える私の羽。欲しいものは解放。どこまでも広がるような。カヲルはそれを理解していて、決して私を戒めたりしない。私を翔ばせてくれる。
「んっ、 ―― っ、ア、アァ ―― 」
 熱い波が私を絡め取り、柔らかく侵入してきたカヲルの指は彼の声のように私を愛撫する。もう充分に潤っている。私は濡れた下着を下ろすと、カヲルの下肢へと手をさまよわせた。指で捉えると、その器官は私の手の中でゆっくりと息づきはじめる。私にはないもの。カヲルにはないものが私にはある。
 唇を深く合わせて熱を分け、唇をカヲルの喉に滑らせていく。少女のように細い首。けれど、微かな隆起が彼の形を物語る。本当は、私達には性別は無意味なのだけれど、私の形とカヲルの形は余りにもぴったりと添えてしまう。それをとても幸福に思う。そう、これが幸福。この甘い陶酔、熱い衝動、溢れ出る湿度。…そうでしょう?カヲル。
「中にきて ―― カヲル」
 上気したカヲルを見下ろしながら、私は手の中の彼の上にゆっくりと腰を落とした。空虚さを感じ始めていたそこにカヲルのものが入って来ると、それ以上は望み得ないほどの安堵に目眩がする。思わず閉じた瞼の裏の闇に虹色のきらめきが弾けた。一つになるのはとても気持ちがいい。
 私がゆっくりと動くと、カヲルが深くため息をつく。私はその表情がとても好き。
「ああ…レイ…」
 差し出されたカヲルの白い手を抱え、私はその指に口づけた。


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