銀兎文庫::novels1
とても静かだわ。
気だるい体をゆったりと横たえるのは好きだった。特に、それがカヲル達の側ならなおさら。
カヲルの胸に伏せていると、玄関の方で小さく扉が開く音がしたように思った。
「 ―― シンジ君かな?」
カヲルも気がついたらしい。壁の時計を見るとすでに6時半を回っていた。碇君が帰ってくる時間。陽はとっくに落ちて、灯のない部屋は薄闇に沈んでいる。
「綾波…カヲル君、帰ってるの ―― あ、またカヲル君ったら…」
だんだん近付いてきていた声が何かを見つけたように途中で留まったかと思うと、衣擦れの音がする。
「…ああ、不味い、そのままだっけ。さぼったの、バレたかな」
少しバツが悪そうにカヲルが囁く。でも、私にはそれが不都合を招くものではないと判っていた。廊下に脱ぎ散らかしたままのカヲルの服を見れば、碇君にはそれがどういう意味かすぐに判るだろう。碇君は、私達のことを誰よりも理解しようとしてくれていると知っているから。
だから私はカヲルの言葉には、小さく笑んだ。
「…心配ないわ」
碇君がカヲルに怒っていたのは裸で廊下で寝ることで、服を脱ぎ散らしたことじゃないのよ。カヲルにとって眠りに逆らうことがどんなに辛いか、彼も知ってるもの。廊下で寝ているのを怒るのだって、カヲルの体を気遣ってるからだもの。
「綾波もカヲル君も帰って ―― 」
軽いノックの音がして、声とともに部屋の扉が開くと、碇君はその場に竦んだように立ち止まった。手にはカヲルの服を持ったままだし、自分の鞄さえ下ろしていない。
「お帰り、シンジ君」
「…お帰りなさい、碇君」
私達が声をかけると、びくっと身じろいだ肩から鞄が滑り落ちて床を叩いた。力が抜けたように手からカヲルの服が落ちる。暗がりでもすぐに判るほど、碇君の頬は真っ赤に染まっていた。
「 ―― あ、あのっ、」
口籠る彼を見ていると、なんだかまるで小さな生き物を見ているようで、とても暖かい気持ちになる。
カヲルへの暖かい気持ちと碇君への暖かい気持ちは、同じところから生まれて同じところに還る。
好きという言葉。それは嬉しい気持ち以上に私を暖める。
カヲルが体を起こす気配を感じて、私も半身を起こした。カヲルは立ち竦んでいる碇君に、私にするのと同じように微笑んで腕を差し出す。そのすんなりと白い腕を起点に碇君の視線がカヲルの素肌の上を彷徨い、けれどそれを必死に隠そうとしているのが判った。私はそんな彼をとても不思議に思う。碇君はカヲルをとても綺麗だと思っているに違いないのに、どうしてだろう、まるでカヲルを見るのを躊躇っているようだ。花や空や海、蝋燭の灯とか磨かれた食器とか、色んな『綺麗なもの』はそれだけでとても私達を幸せにしてくれると教えてくれたのは彼なのに。
「どうしたの、おいでよ、シンジ君」
カヲルはなおも微笑みながら碇君を招く。けれど、こういう時の碇君はいつも酷く臆病で、決して自分から手を延ばしては来ない。そしてすぐに俯いてしまうから、彼の顔がよく見えなくなってしまう。でも、それは嫌、とても寂しい気持ちになってしまうの。お願い、顔を見せて?
私は碇君の放つ波動に心を合わせてみる。私たちの姿への羞恥と、そして、その後ろに隠された寂しさ。 ―― そして懼れ。それは、今ここにいるあなただけが私とカヲルとは“違う”せい?
何故? 私達はあなたを捨てないわ。私達は2人ともあなたを選んだのだから。
私もカヲルと同じように手を延ばす。
「 ―― 来て、碇君」
私がそういうと、碇君がはっとしたように顔を上げてくれた。見開かれたその瞳。
ああ、なんて透明な眼なの。カヲル以外にこんな眼をする人がいるなんて。私達の間の空気を伝わって碇君の戸惑いやためらいが流れ込んでくる。触れてもいいの?、ここにいてもいいの?、そんな波動。彼の痛みや望みは、私とカヲルに響いて、私たちの共鳴をより強くする。碇君の感情の波…喜びや戸惑いや、寂しさや安堵、それは私たちと響き合って陶酔を誘うような旋律を生む。
私達を必要だとあなたに思って欲しい。いいの、私達に触れて、お願い、ここへ来て。それが私達の ―― 私とカヲルの望み。こんな旋律を他に知らない。私達3人の生活の中で学んだこと、それは私達には互いが必要だということなのだから。
「ここに、きて…」
「…」
私とカヲルの手のひらに、まるで花にとまる蝶か蜜蜂みたいにおずおずと碇君の手が重なった。カヲルと一緒にその手をゆっくりと引き寄せると、痩せた体が泳ぐようにして私達の腕の中に落ちてくる。私とカヲルは2人でゆっくりと碇君を抱き締める。
「…た、ただ…いま ―― 」
くぐもったつぶやき。嬉しい。
「「お帰りなさい」」
こうして一度落ちてきた体は、もう抵抗をやめてしまうことも判っていた。私と同じくらいの体なのに、碇君は私達よりもずっと小さななにかのようだといつも思う。人類、人、ヒト。これはヒト、私達とは違う生き物。彼を抱き締めると、それだけであたたかな気持ちが生まれてくる。カヲルもきっと同じね、私達は同じだもの。私達にとって彼はただ一人のヒト。脆くて小さくて、けれどこんなにも私達を暖める。それは彼の力だわ。どうして碇君はそれに気がつかないのかしら?カヲルでさえ『シンジ君は強情だ』って、時々拗ねているのに。…カヲルがそんなふうになるのはあなただけなのに。
「ごめんね、今朝はなんとか学校へ行こうとしたんだけど」
カヲルが碇君の肩ごしに話し掛けると、私達の腕の中で碇君の体が小さく跳ねた。碇君の返事がないので、カヲルは戸惑ったのか、少し体を離して碇君にさらに話しかける。
「こっちを見て、シンジ君。それとも怒ってるのかい?」
2人を見ていて、いつもは聡いカヲルがそのことを判らないのが不思議だった。碇君は怒っているのではなくて ――
「…違うわ、カヲル。碇君は、あなたを見てはいけないと思っているのよ」
私がそう告げると、碇君の頬がさらに赤く染まる。耳まで赤くて、それがとても熱そうで、私は思わず熱を冷まそうとその薄い耳朶に口づけた。
「 ―― ああ、そうか…」
私の言葉の意味は、カヲルにはすぐに理解できたようで、くすくすと、くすぐったそうにカヲルは笑う。
「うわっ、ちょっ、カヲ…く…!」
碇君が急に慌てた声を上げたと思ったら、カヲルが碇君の足の間を探っていた。真っ赤だった碇君がさらに慌ててしまって、声が裏返っている。…こういう時、カヲルは碇君に何故かとても意地が悪い。でも、それが何となく判らなくもないのは何故かしら。
「どうしていまだに変な遠慮するんだい、君は。僕もレイも、君を待ってたのに」
カヲルが碇君に囁く。さっき私を愛撫した手や唇が、今は碇君を優しく撫でている。
「あのっ、でも、ご、ご飯とかっ…!…支度しな、きゃ ―― 」
困ったように碇君は云う。でも、それは嘘ね。触れていれば判るわ。きっとカヲルにもそんな嘘は通じない。碇君のそれは、遠慮といわれるもの?それとも違う何かだろうか。どちらにしても、私にもそれが彼の本心ではないのはわかるの。
「…後でいいじゃない。せっかく君が帰ってきてくれたのに」
笑っているけれど、カヲルの声にわずかに拗ねたような声が混じる。それに共感している自分がいるのと同時に、そんなカヲルをとても愛しく思う。だって、私にもカヲルにも、今までこれほどに愛しく感じるヒトはいなかった。私達を暖めてくれるヒトは。だから私はこういう時、自然とカヲルの味方をすることになる。
「そうよ、待っていたわ、私も、カヲルも」
じたばたともがいていた碇君の体が大人しくなっているのに気がつくと、白い手が碇君のズボンのベルトを緩めて忍び込んでいた。カヲルは碇君の扱いをとてもよく心得ているようで、あっという間に碇君はカヲルにくず折れていく。カヲルは共感する力がとても強い。私の望みも、碇君の望みも、彼の前では何一つ隠せないほど。そして、彼はいつも惜しみなくそれを与えてくれる。私達を傷一つなく丸く磨き上げるために。
私が唇を寄せると、碇君は驚いたように眼をぎゅっと閉じる。けれど唇はほころんでいて、彼の舌は私を拒まない。カヲルほど強い共感力を持っていない私にも、それが碇君の本当の気持ちだというのは明らかだった。
碇君の頬もとてもなめらかね。上気した頬が愛おしい。私や碇君がカヲルに触れる時も、上気したカヲルはとても綺麗。私もカヲルに触れられている時はこうなのかしら。私が触れたら碇君はどうなるかしら?
碇君を抱き締めると、彼のなめらかな胸に私の胸が添う。触れるところから流れ込んでくる体温はカヲルよりも高くて、鼓動も早い。そんなところまで小さな動物のようね。こんなに鼓動が早くて死んでしまったりしないかしら。
「 ―― シンジ君、気持ちいい?」
カヲルが耳元に囁く度に碇君の腿が揺れて、ズボンから濡れた音がしている。私はそれを下着ごと引き降ろした。カヲルの白い指が絡んだ碇君のそれは、もう充分に熱い。碇君の喘ぐ声を聞きながら、カヲルの指の上から自分の指を絡めて、その熱さを確かめた。
「あっ、あやなみっ…ダメだよっ…!」
碇君はそう云うけれど、どうしてダメなのかしら? 私達、いつもこうしているのに。
「シンジ君は、時々思ってもないことをいうよね。そんなに恥ずかしいのかい?」
私の疑問をカヲルも感じたのか、からかうようなカヲルの言葉に、碇君はまた耳まで真っ赤になって俯いた。
「…だっ……だって…、…ずか……いよっ……」
碇君は腕で赤く染まった顔を覆っている。あなたはこんなに綺麗なのに、何故見られることを躊躇うの?私はそれが不思議で、そして ―― 少し寂しい。碇君の全てを知りたい。あなたに全てを見せて欲しいのに。
ふと聞こえた音に惹かれるように、碇君の胸に、耳を寄せてみた。そこにはあふれる旋律と、その奥、もっと深いところで、冷たく高い音がしていた。まるで、風の強い日にひび割れた隙間を通って生まれる高い笛のような音。それは、さびしい、という言葉にとても似ていた。
ああ、あなたにも穴があるの。それほどに大きな何かがあったのね。こんなふうに身を鎧う仕種は彼の深いところに根付いているもののせい。冷たい味、それは孤独。とても傷付いてきたのね。私達とは違う刃で。
こんなにも綺麗な魂を傷つけてきたものを、私は理解できない。この魂は愛されるべきものよ。そっと包むように土に埋めた種に水を注ぎ、伸びた双葉を風や陽に当てるように明るい場所に置いて。彼にはそれが与えられなかったのだろうか。だからこんなにも震えるの?
もしかして、碇君にも学習が必要なのかも知れない。
自分は誰かに愛されているのだという学習が。
それはこれから学べばいいわ。私達がそれをかなえてあげる。それは私達にとっても喜びなの。
カヲルの愛撫に喘ぐ唇は濡れて、私を誘う。その唇をついばみ甘い息を絡めると、カヲルとの時のようにまぶたに虹色が弾ける。綺麗な魂。綺麗な旋律。あなたほど美しいヒトを他にしらない。
ふとカヲルと視線が合って、カヲルが私と碇君を愛し気に見つめていることに嬉しくなる。私はその唇にもキスを落とす。そうよ、カヲル。私はあなた、あなたは私。そして私達は共に碇君を愛してる。とても離れられない、とても半分には割れない。だから今が一番自然なの。
「私達はあなたが好きよ、碇君」
私からゆっくりと迎え入れると、高い声を上げて碇君の体が反り返る。
「忘れないで、僕達は、君が好きだよ」
カヲルがゆっくりと入って行くと、碇君は痙攣するように四肢を震わせた。
「……、あっ、あやな………うぁっ、あ、カヲ……、…、…、」
ああ、カヲル、あなたの背中に白い羽が見えるわ。
「 ―― とても暖かいわ…」
私には2人のアダムがいる。
地上のアダムと天上のアダムが。
湧き上がる歓喜に目蓋の裏が赤く染まる。
それはカヲルの瞳の色、そして碇君の血の色。
PigeonBlood。
いつか私は…私達は、あの海を忘れるだろう。
ende.
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とても離れられない、とても半分には割れない。
↑実はこれが書きたかっただけなのでス。私にとっての135仲良しの基本なので(笑)
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