Please, please, please, Don't let you go. 『 空 』

Written by 在原蝙蝠.



ある日を境に、
消灯の時間の迎えがこなくなった。

どういうことなのかわからなかったけれど、
忘れているのかなとそのまま泊まってしまっても、
だれにもなんにも云われなかった。

「どうしたんだろうねえ」

って云ってもかれはただやさしくわらっているので、
ぼくはわがままに甘えることにした。

一体、それがなにかの予兆のようだと思わなかったわけじゃない。
カヲル君もそれを思っていたから、
ぼくを帰したがらなかったのだろう。

けれどいつかなにかにさかれる関係だということは、
多分はじめてであったときにわかっていた。

それをわかって、
けれどどうしてもぼくはきみについていったのだ。

そしてとり返しのつかない後悔をしたとしても、
あのときのぼくの選択を否定することができなかった。

膚を重ねて時計をながめて、
LEDと同時に落ちる照明を、
どこかでだれかが眺めている。

それでも構わなかった。

誰に責められるとしても、
後悔はしつくしたあとだった。


もうあのひから、恐れるという要なんてなくなっていた。


右手の指の間を濡らすきみの舌、
きみに誘われて首筋に立てる歯、
服を脱がせあってたどる傷の数、

丸いレンズはすべてを記録しているのだけれど、
結局それらを、
ぼくらほどに覚えておけるものはなく、
その事実は、
たとえきみとぼくのどちらもが失われてしまっても変わりのないことなのだと、

「…………カヲル君」

それを思うだけで恐れということは意味をなくしていた。

いつか間違いなく訪れる終わりより、
夜に呼び出しを受けて少しかなしげに部屋を出る彼を、

「……寝ないよ、…待ってるから……」

抱きしめる方がぼくにとってははるかに切実なことだった。


■◆■


『いつかこの日が来ると思っていました』

「……何故?」

『いつも倖せというものは長くは続かない、
ただその瞬間の為に死さえ構わないと思うことができるから、
生に意味があるのかもしれませんが』

「………回復は順調なようだな」

『おかげさまで。
ぼくは人間とはちがいますから』

「……どうも、私は嫌われているようだな」

『愛する理由がありません』

「憎む理由は?」

『ぼくを、彼の手にかけた。
そしてまたおなじかなしみを彼にあたえようとしている』

「かなしみ?」

『ぼくはね、碇指令。
自身の死を憤っているのじゃありませんよ。
…………ただまた彼を傷つけることだけがかなしい』

「……きみは再生されたことを悔いているのかね?」

『悔いているのじゃありません』

「だろうな」

『……ただもういちど彼に逢いたかったというのは本心ですが、』

「……………」

『何度も、……あなたが彼に同じ結末を与えるのじゃないかと思いました』

「………………」

『でもぼくは、……わがままを覚えてしまったのかもしれない。
目を開いて、…自分が死に損なったのじゃないかと思った。
フィールドは閉じ込めておいたつもりだったけれど、
無意識に彼の指を拒んでしまったんじゃないかと、思ったのに』

「………………」

『ぼくがいた』

「………………」

『あんなに近くにあの瞳があって、
その底にぼくが映っていた』

「………………」

『身体のあちこちが痛んで、
ああぼくはひろいだされたぼくなんだと気がついたのに、
意識を覆ったのは後悔じゃなかった』

「………………」

『耳も目もろくにきかなかったけれど、
ぼくが曇らせてしまった笑顔が、
そこに在ったというだけで嬉しかった。
………向かう場所も帰る場所も、持ってなんていなかったっていうのにね』

「…………………」

『一度壊れた所為かもしれない。
ぼくは随分弱くなった。
でもあなたが、同じ苦しみを彼にあたえようとすることがわからない』

「……………」

『あなたがぼくの記憶に要があって、
再生するのは構わない。
でもどうせ殲滅するのなら、彼に知らせずにいてほしかった』

「たしかに、きみの記憶は有用だ」

『そんなものなら幾らでも差し上げますよ。
ぼくには要のないものですから』

「……九体のエヴァシリーズが、完成に近づいているそうだな」

『そのようですね』

「だが、いまだに切り札はこちらにある」

『…使徒までがね』

「そうだ。
最後の使徒を殲滅しなければ、計画は遂行できない」

『しかしすぐ気付くでしょう。
彼らもそう愚かではない』

「時間は稼げる。
エヴァシリーズがそろうまでの猶予、」

『使徒を倒すまでの猶予?』

「委員会がそれに気付く前に動かなければならない。
きみはそのために再生された」

『……………あなたがなにを考えているのかわからない。
ぼくは使徒ですよ。しかも傷は癒えかけている』

「そうだ。
そして手元にはこれがある」

『…アダム…』

「アダムの魂と肉体、
そしてエヴァシリーズ。
これがそろえば計画は遂行できる」

『……あなたがなにを考えているのかわからない。
これをぼくに渡してどうしろと云うんですか?
ぼくがこれに触れれば、あなた方は永遠に活路を断たれるんですよ?』

「もしきみが融合を果たせば、だ」

『…………』

「きみの魂は我々人類とはちがう。
我々人類の魂は、一度肉体をはなれればサルベージすることはむずかしい。
ひとつの魂を再構成することは困難なのだ。
我々は不完全な多数の個体でできているのだから」

『……………』

「だがきみはちがう。
あそこから拾い出した肉体を繋ぎ合わせ、
そのままのきみとしてサルベージされた。
きみの魂はその輪郭を保ちつづけることができる」

『…………そうですよ。
だからこんなものをぼくに渡してはいけない。
ぼくはこれにひかれつづけるのだから』

「確かに、きみとアダムとが融合すれば人類そのものが滅びてしまうだろう。
だがもしそこにエヴァの干渉があったなら?」

『………ここにあるだけでは数が足りないでしょう』

「確かに、セフィラとなるエヴァは九体必要だ。
だがもし乗り手がいる、魂の在るエヴァが三体あるとすれば?」

『……………』

「きみがその単一の魂をアダムへ向かって解放、
その軸の上に三体のエヴァを配置、
アンチ・ATフィールドで干渉をはかる。
その輪郭を、第十七使徒、きみの能力で三重になぞるとすれば?」

『……あなたはあなたの息子を神にしたいのだとおもっていた』

「あれには荷が重い。
きみの死で、エヴァにも乗れなくなった」

『それでこんな計画を考え、
ぼくを再生した?
彼の為に?』

「…………」

『光栄、ですね』

「…………」

『でももしぼくが断ったら?
あなたをだまして、アダムと融合してしまったら?』

「……きみが?」

『魂の解放なんてぼくにとっても危険が伴う。
下手をしたらそのまま消滅してしまうかもしれない』

「或いは生命の過剰にきみが耐えられないかもしれない。
そしてもし成功するとしても、
きみは使徒としての能力を永久に失うだろう」

『…………………』

「拒んでも構わない。
これはきみの意思が伴わなければできないことだ」

『意思?……だれの』

「我々は常に誰に対しても命令することはできないのだ。
神では、ないのだから」

『………ではこれは提案、ですか?
あなたはぼくに承諾を求めていると?』

「賭けといった方がいいかもしれないな」

『勝算は?』

「悪くない作戦だと思っている」

『……あなたは常に指令であろうとした。
彼を悲しませても』

「…………………」

『…彼らは?
生身の人間が、アンチ・ATフィールドに耐えられるとは思えない。
あれはこころの壁を内側に開放する危険なものだから、
量産機はダミーシステムで出来ているんですよ』


「きみは、どうおもう?」


■◆■


カヲル君は夜中に帰ってきた。
慌てておきあがり、

「ね、寝てないよっ」

さけんだぼくを笑って、抱きしめる、
ただいつもよりすこしだけ腕の力がつよくて、
逃れようと身をよじるたびもっと押さえこまれた。

それでも包まれる体温はここちよく、
ベッドに倒れこんだあとは、
逆にしがみつくようにしてまたすぐに寝入ってしまった。

でも寝返りをたびにひきもどされた記憶があったので、
彼は結局、ねむらなかったのかもしれない。



そんなにちからをこめなくても、
ぼくはけっしてきみから離れていくことはないというのに。


■◆■


『…………彼らに負荷がかからないように、
最大限の努力はしますよ』


■◆■


夜の間に雨が降ったらしい。
砕けたアスファルトは黒くぬれていて、
半袖では寒いくらいの風が、みどりの木々からかすかにな雫をこぼしている。

「寒くない?」

尋ねると彼は首を振り、あるきだす一歩のようにぼくの手を取った。

「………………」

東の空は灰色の雲に覆われて、
その隙間からオレンジいろが貯金箱の入り口くらいに
ほそくほそくのぞいている。

けれど彼の髪を、欅の梢とならべて揺らせる風は強く、
西からはあおいあおいそらが、
それは分厚いくもが手前に垂れこめている所為で
もっともっと高く見えるそれが、
ひかりのように地上へさしこみ始めていた。

「とても早いね」

ぼくは云って、煙のように流されて行く雲を目で追いかける。
建物から遠ざかり、彼の手をぐいぐいと引張って、
そのうちほんとうに走り始める。


風は、夜明けのそらをみるみる拭い去って行く。


なんて、追いつけないほどに早いのだろう。
だれもいない、
だれもみていないアスファルトの上を、
ぼくは夢中になって走りつづけた。

砕けたアスファルトに、溜まった雨水がぱしゃりと音を立て、
街路樹の水玉がはじける額を、
その風がまるでからかうように押さえつける。


「……はやいねえ、
まるで追いつけないよ」


いつのまにか、天球は半分以上が晴れ空になり、
ぼくはやっと足を止める。

ぼくはぜいぜいと息を切らせるのだけれど、
まだその左手を離さずに居た彼は汗一つかいてはいなくて、
Tシャツの襟元をあおぐぼくをわらってみている。

「……ね、もうすこし、歩こうか」

ぼくはいい、彼は頷く。
白いガードレールの縁をなぞりながら、
ぼくらはゆっくりと歩き出す。

濡れたくうきは、
とてもはやく、汗ばんだぼくの体温をうばってゆく。

「いつだか、訊いたことがあったんだ。
『 どうしてエヴァに乗っているの? 』って」

「……………」

「ぼくには、わからなかったから。
綾波は、『 絆だから 』って云って、
アスカは『 自分の存在を示すため 』だって云ってた。
………それを聞いても、結局ぼくにはよくわからなかったんだけれど」

「……………」

「でも今思えば、
ぼくが本当に尋ねたかったことは、
別のことだったような気がする。
……どうしてエヴァにのっているのかじゃなくて、」

「……………」

「どうして、…生きているのかって」

「……………」

「どうしてぼくらはうまれてきたんだろう、
なんのために生きているんだろう。
わからなかったんだ。
ぼくにはなんにも、……なんにもなかったから」

「……………」

「きみに、云ったことがあったよね。

『 なにもない日々だった。
ただそこにいるだけの 』

…………エヴァに乗って、使徒を前にして、
はじめて『 あ、死ぬのかな 』って思った。
死ぬのなんて、怖くはないって思ってたのに。

……でも怖かった。
ただそこにいただけのぼくは、『 生きて 』なんていなかったのに。

………でも死にたくないって思えた。
なにも知らないまま、死ねないんだって思った。
まだ生きてはいないけどぼくは、
『 生きたかった 』んだなあって、思った」

「……………」

「ぼくらは本当に、エヴァに乗るために生まれてきたのかもしれない」

「……………」

「エヴァがなんなのか、なんの為にあるのか、
……父さんがなにを考えているのかぼくにはわからないけれど」

「……………」

「ぼくらは仕組まれた存在なのかもしれない、
ぼくらはその目的の為に生まれてきたのかもしれない。
綾波は絆を、アスカは存在を確かめるためにエヴァに乗ってた。
……そのために生きていたっていうことなんだと思う。

ぼくもたぶん、なにごとかの為に、
エヴァに乗らなくちゃ、生きなくちゃならなかったんだ。

三人で、第十使徒と戦ったときに思ったんだ。
……ああ、なにごとかを賭けているんだなあって。
あのとき、自分がなにを賭けているのかわからなかったんだ。
でも、戦いが終って、
はじめて父さんにほめられた」

「……………」

「嬉しかったんだ。とても。
それまで、父さんにとってぼくなんて、
要らないものだって思ってたから。
たったひとことなのに、ここに居ても構わないような気がしたんだ。
………嬉しかったんだ。
前に、進めた気がした。
結局ぼくは父さんから逃げつづけていたんだと思う。
でもあのときに少しだけ変われたような気がしたんだ」

「……………」

「カヲルくんに逢ったときもそうだったよ。
誰も、いなくなってしまって、
ぼくはどこにいればいいのか、
どこに居たいのかわからなかった。
……見上げたらきみがいた。
手を、…とられて、
嬉し、かったんだ。
びっくりしたけど…そんな風にされたことが、なかったから」

「……………」

「誰かがそばに居て、
ぼくを見詰めて呉れて、
拒んだり、嫌ったりしないで呉れて、
………だれかに触られて、気持がいいなんてしらなかった」

「……………」

「あれが、すきってことなのかなって、思ったんだ」

「……………」

「カヲルくんに、ここに居て欲しいって思った。
ぼくも、ここに居たいって思った。
…………いきていたいって思ったんだよ。
自分の居るこの世界を、こわしたくないとこころから願った」

「………………」

「一体ぼくはなにも知らなくて、
……だれもかもを、きみをも、傷つけてばかりだったけれど、」

「………………」

「…もう一度あえると思ってなかった。
ぼくは永久にきみをうしなったんだとおもった」

「………………」

「ぼくは父さんが、なんのためにきみを再生したのかしらない。
なんの目的があるのかしらない」

「………………」

「でもいまぼくがきみと手を繋いでいられるのなら、
…………ぼくはこの世界を否定したりしない。
たぶん、二度と」

「………………」

「やりなおす、わけじゃないんだ。
ぼくはなにごともしらないで、はじまることもできずにいた。
……今から、歩き出すだけなんだ。
まだなにも…」

ぼくは左手を強く引き寄せてきみと向かい合う。

ぼくよりも少し高いところに在るきみの目が、
あけて行くそらを映して銀色に輝いている。

「すきだよ。
……ぼくはきみといっしょにいきたい」

「…………」

彼の右手がぎこちなくあがり、ぼくの髪に触れる。
ぼくも左手をゆっくりとあげ、きみの髪の中にさし入れる。

「はじめよう。
ぼくはエヴァに、乗るよ」

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