銀兎文庫::novels1
カヲル君はすこしずつ起きられる時間が長くなって、
ペンを持つ事もできるようになった。
面会時間も一時間に増え、
スケッチブックを間に、ぼくらはながいあいだ話をした。
カヲル君の字を、はじめてみた。
利き手のギプスでスケッチブックをおさえ、
左手で綴る文字は奇妙に傾いて、
ぼくは彼のほうへ身を乗り出して、
読み違えるとこえにならないこえがくすくすとわらった。
「マイスキーのアルバム持ってきたんだ。
かけて、いい?」
彼は頷き、ぼくはステレオのスイッチを入れる。
このへやにあると、オーディオさえ彼の命をながらえさせる、
なにかの道具のようだから、
ぼくは衝撃をあたえないようにそっとガラス戸を閉じた。
「……………」
やがて、バッハのメディテーションが流れだし、
かれはそれにみみをすませる。
音楽を聴こうと云ったのは、
沈黙をうめられないぼくの苦肉の策だった。
おとにみみをすませていれば、
結局どんなこともうまくつたえられないぼくの動揺を、
気がつかないでいてくれるかもしれない。
でもカヲル君はそれを気に入って呉れて、
ぼくもうれしくて毎日、ネルフのライブラリにCDを借りに行く。
チェロを弾くと云ったら、カヲル君はちょっと目を見開いて、
『 今度、聴かせてくれるかい? 』
と書いた。
ぼくはわらって、
「聴かせられるほどのものじゃないよ。
……もし許可がおりたら、持ってこられるのだけれど」
と云った。
カヲル君は、監視カメラの方を睨むまねをして書く。
『 チェロなんかでは、きみを傷つけたりはできないのにね 』
彼のペンはプラスチックで、
スケッチブックもリングのない、ひらたくとじられたものだった。
点滴は外されて、最近は食事をしているようだったけれど、
壁の穴から自動販売機のように落ちてくるそれは、
食器もふくめてすべてが1パックになっていて、
フォークなんていっそ食べづらいくらい短く華奢だった。
彼が、ぼくを損なうとでもいうんだろうか?
「……………」
……気付かれないくらいにゆっくり体勢を移動して、
起こした枕によりかかる、彼の肩に身体をあずける。
「………」
彼は少しだけ身を竦ませる。
ぼくは体重が自分の腕にかかるよう気をつけて、
首だけで彼の膚をなぞった。
「………」
カヲル君の手が、
ゆらりともたげられてぼくの手に重ねられる。
細い指はぼくの手のひらをなぞり、
「いい曲だね」
そう綴る。
「ヘンデルの、
『 オン・ブラ・マイ・フ 』だよ」
「……なんていう意味?」
「『 なつかしい、こかげ 』
…国を追われる王が歌う、オペラの中の曲だよ。
『 おまえほど、いとしく、優しく、
芳しいものはなかった 』
って、プラタナスの木陰をうたう……」
「……………」
くすり、と彼が耳元で笑う。
そして震えない声帯の代わりに息だけでささやいた。
「 キミノヨウダネ 」
■◆■
「あれ?リツコまだいたの?」
「え?
ああ、もうこんな時間だったのね」
「根、つめすぎじゃない?
ちょっとは休まないと、からだに毒よ?」
「ありがとう。
………でもまさか、ミサトに心配されるなんてね」
「あーら失礼しちゃうっ。
あたしだって伊達に年くってないわよーだ」
「…………」
「…………」
「明日、なのね」
「………ええ」
「気がすすまない?」
「そう、……そうね。
しているのは使徒と同じことなのだから」
「第十五、十六使徒?
………あの精神汚染とは違うわよ。
あれは攻撃じゃない」
「いえ、
あれは攻撃なんかじゃなかったのよ。
多分ね。
…………アスカにとっては苦しいだけの戦いになってしまったけれど」
「……でも生きてるわ」
「……そうね、アスカは生きている。
そして生き続けることが、できるかもしれない」
「レイも…」
「ええ。
二度とかわりのきかないひとりの人間として」
「…………あんたのしてることは間違ってないわよ。
あたしはそう思うわ。
ほんとは、あの子達がエヴァに乗れようになるかどうかなんて、
どうだっていいの」
「…………ええ」
「あのときみたいに、もういちど笑ってくれるなら」
「…はじめましょうか」
■◆■
誰もわたしを見てくれない。
わたしには価値なんてないのよ。
わたしは要らない、子供なの。
……………わたしなんていなくていいの。
『 ホントウニ? 』
だれ?
あなたはだれ?
………………!!!!
痛い!!
痛いイタイイタイイタイイタイ、
皮膚がさけて、
骨が砕けるおとがする。
いや、やめてよ!!
壊れてしまう、わたしが壊れちゃうじゃない!!
皮膚が裂けて、骨の砕けるおと…
痛むのは、
あたしの皮膚のかたち、あたしの骨のかたち、
…どうして痛いの?
何が痛いの?
生きているから?
痛むのはわたしのかたち?
痛い、痛い、痛いわよ!!
生きているから痛いの。
生きているから、痛いのは嫌なの?
……………死ぬのは嫌。
死ぬのは嫌、死ぬのは嫌、死ぬのは嫌、死ぬのはいや。
死ぬのはいや!
生きているから、死ぬのが嫌なの?
そうよ!
生きてるから痛いんじゃない!
身体と外界の境があるから痛いんじゃない。
生きているから、死ぬのが嫌なのよ!!
■◆■
誰も私を見てくれない。
エヴァに乗らないのなら、誰も。
私は要らない、子供。
私が死んでも、代わりはいるもの。
『 ホントウニ? 』
だれ?
あなた、だれ?
………………!!!!
痛み。
皮膚がさけて、
骨が砕けるおと。
痛い、これはなに?
身体が裂かれていく感じ、私がばらばらになってしまう感じ。
皮膚が裂けて、骨の砕けて…
これは私の皮膚のかたち。私の骨のかたち。
…何故痛いの?
何が痛いの?
生きているから?
痛むのはわたしのかたち?
痛み、痛み、これが痛み。
生きているから痛いの。
生きているから、痛いのは嫌なの?
でもこの感覚、生きているという感じがする。
切り取られて行く部分から、
私と世界を隔てている輪郭が伝わってくる。
私、生きているのね。
この感覚を失いたくないから、飲まれてしまいたくないから、
死にたくないとかんじるのね。
……………死ぬのは嫌。
死にたく、ないわ。
生きて、いたいの。
死にたく、ないの。
だからエヴァに乗るの?
この中にはだれかいるわ。
わたしではないだれか、
わたしに近いだれか。
誰?
だからエヴァに乗るの?
エヴァはなに。
わからない。
ただエヴァにはこころがある。
こころ。
それはとてもまぶしいもの、
それはとてもあたたかいもの。
とてもとてもきもちがいいもの。
そのひかりをかんじるの。
ふかくふかく、
わたしの中に届いて行くひかり。
……………シンクロ?
いえ、わからない。
あのひとが喜ぶからこれに乗るの。
あのひとが必要とするからこれに乗るの。
…………ひかりをかんじるの。
いろのないわたしの底に差し込んでくるひかりを。
あのひとが喜ぶからこれに乗るの?
あのひとが必要とするからこれに乗るの?
ひかり。
くるしいけれど心地よい感覚。
「 綾波は、どうしてこれにのるの?」
…………初号機パイロット。
碇シンジ。
碇指令のこども。
「 こわくないの? 」
怖くなんてないわ。
わたしにはほかになにもないもの。
あなたを守るのが作戦の目的なの。
「 あなたは死なないわ 」
怖くなんてないわ。
失うことを恐れているのは、
この身体でも命でもなくたったひとつの絆。
わたしにはほかに、なにもないもの。
「 わたしが守るもの 」
「 別れ際にさよならなんて、
……かなしいこと、云うなよ 」
「 ……………… 」
彼はあのひとじゃないわ。
すこし似たところがあるけれど、
でもあのヒトじゃない。
初号機パイロット、
「 待って。まだ、碇君が 」
この感じはなに?
ひかりをかんじるの。
ひかりを。
エヴァの中からかんじるひかり。
わたしの中からかんじるひかり。
それはとても近いもののような気がするの。
エヴァに乗るのはなんのため?
なんのため?
絆って、なに?
「 綾波が生きてたから、嬉しくて… 」
「 あんた、ちょっと贔屓にされてるからってなめないでよね! 」
「 お前が心配しとんのはシンジや 」
ひかり、こころのひかり。
エヴァに乗らない私、
制服を着て、学校に行っている私。
それでも同じものをかんじるわ。
何故?
このひとたちはエヴァに乗っている私を見ているんじゃない。
それでも同じものをかんじるの。
あなたはなにを見ているの?
「 ごめん、勝手に片付けたよ。ごみ以外は触ってない 」
「 ファーストもラーメンならつきあうっていうし 」
フォーメーションをくむのは、
作戦の遂行に有効だから。
命令があれば、そうするわ。
「 悪いけど!あなたには私の弐号機にさわってほしくないの! 」
これは弐号機パイロット。
惣流・アスカ・ラングレー。
「 なかよくしましょ 」
「 なぜ? 」
「 その方がつごうがいいからよ 」
私は零号機のパイロット、
あなたは弐号機のパイロット。
「 ファーストって怖い子ね 」
私のパーソナリティなんて作戦に関係ないわ。
なのになぜ、あなたは
「 昔っからだいっきらいなのよ! 」
………キライ?
零号機パイロットの私がキライ?
それは作戦において都合が悪いわ。
なのになぜ、あなたは私をキラウの?
パイロットが嫌いなの?
……ワタシが、きらいなの?
「 弐号機フィールド全開 」
「 やってるわよ! 」
みていたのね。
弐号機パイロットは零号機パイロットがキライ。
いえ、
惣流・アスカ・ラングレーは綾波レイが嫌い。
惣流・アスカ・ラングレーはわたしをみていたのね。
零号機パイロットではないわたしをみていたのね。
「 あんたも今度は一緒にくるのよ 」
なぜ?
「 肉、キライだもの 」
わたしは誰?
零号機パイロット。
…………綾波レイ。
■◆■
………しにたくな、いの
………………なに?
光?いえ、
…………熱?…ちがう。
じゃあなに、これ…
でもとてもまぶしい。
でもとてもあたたかい。
これは、なに?
手を伸ばしてもなににも触れないわ。
これはなに?
「 こころを開かなければ、エヴァは動かないわ 」
「 あの人形にぃ? 」
人形。
ひとのかたちをしたもの。
人造人間エヴァンゲリオン。
「 なんで兵器にこころなんているのよ 」
兵器。
そうよ!
あれは兵器、あたしはパイロットじゃない。
「 あたしの命令にさからわなきゃいいのよ 」
人形。
あれは人形。
「 GEHEN! 」
ただ強い光をかんじるの。
とてもとてもつよいちから。
これはなに?
あのときは動かなかったくせに。
「 開け、開け、開け、開け、 」
「 最初っからフル稼働、最大戦速でいくわよ! 」
「 この前の借りを返しとかないと、気持わるいからね 」
ひかり、
この光はなに?
とても強いちからをかんじるの。
わたし以外のだれかをかんじるの。
あのときわたしを、弐号機を動かしたのは何?
ただの人形じゃ、ないの?
ひとのかたちをした、
ひとのつくりだしたもの。
「 一緒に死んでちょうだい 」
いや!!
あたしはママの人形じゃないの!
自分で考え、自分でいきるの!!
「 エヴァにはこころがある 」
あの人形に?
「 あなたもわかっているはずよ 」
こころ、が?
…………からだの傷よりもずっといたむあのこころが?
死にたくないと願うこの気持が?
あたしと同じこの気持が?
「 死ぬのはいや! 」
…まだ死んではだめ
……生きて、いなさい
………まだ死んではだめ
…………いきて、
…………なによ、あなた、だれよ…
だれよ、
なんなの、今更、
……………ママ
逢いたかった!
逢いたかったの!!
ずっとキライだったの。
あたしを生んだくせに、ずっとずっとひとりにして、
「 だから一緒に死んでちょうだい 」
「 あたしはママの人形じゃない! 」
でも、ちがったのね。
そばにいてくれてたのね、
あたしは要らない子供なんかじゃなかったのね!
あたし生きててもいいの?
ここにいても、いいの?
あのときつよいひかりを感じたのは、
あたしが生きたかったからなの?
エヴァに乗れなくなったのは、
あたしが生きたいって思えなかったから?
やっとママのこえが聞こえたのは、
生きたいって気付けたから?
あたし、生きてるの?
ここにいてもいいのね。
守って呉れてるひとがいたのね。
……愛されて、たのね。
ただ私が目をひらかなかっただけで、
みんなずっとそこにいたの?
ただ私が抱きしめなかっただけで、
あたしはずっとここにいたの?
ここ。
ママが生んでくれた場所。
私をとりかこむ、世界の中にいるの?
……ママを忘れたりなんかしないけど、
あたしがいるのはもうママの中じゃない。
あたしは生まれたの。
今世界の中にいるの。
ママが私を置いてくれた、世界の中にいるの。
だから平気。
ママはいないけどあたしは平気。
「 こころがある 」
あのまぶしいひかりは、あたたかなねつは、
……………だれかをおもえる強さなのね。
あたし、まだ死ねないわ。
まだ生きないと、だめ。
まだ大事なことをひとつもしらないもの。
まだ、死んでなんて、いらんないのよ!
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