20

 全てが全く元通りになったわけじゃない。
 あちこちに小さな綻びがあったり、矛盾があったりする。
 けれど、人はそれを気にも留めずに生きていく。その貪欲さであり大らかさを、愛しいと思えるようになった。
 カヲルは、シンジの持ついろんなものが「カヲル」を変えていくのが嬉しくて楽しいといっていた。その言葉の意味は、きっとそれと似ているように思う。


 僕が一人になる冬の間は、時々綾波が訪ねてくる。
 僕らは丁寧に入れた濃いめのミルク紅茶を飲みながら、少し話をする。
 紅茶のような嗜好品は、綾波が町からもってきてくれる。現実が戻ってきて以来、彼女はここから一番近い(けれど、それでも何キロも離れているんだけれど)町に住んでいる。
 もともと消滅するつもりでいたカヲル君が綾波の分の負担を一方的に全部引き受けたことで、彼女は眠らずにすんだ。でも、使徒である綾波は、どうやらかなり時間がゆっくりと進むようで、1年ぶりに逢ってもほとんど変わらずにいる。多分、もう2〜3年経てば、住む場所を変えないといけなくなるだろう。
 僕にすれば、彼女も一緒に3人でここに一緒に住むのも楽しそうだったけれど、同時に、できればもっと沢山の人に関わって欲しいと思ったのも事実で、それはカヲル君も同じだったのだと思う。そして、綾波と同じ使徒であるカヲル君はそれを現実に反映させることができる分だけ、僕よりももっと強くそれを願ったのだということは容易に想像できた。
 けれど、カヲル君のそういう気持は、綾波の気持とは少し違っていたようで。
「 ―― カヲルが支えられなくなるようなら、手後れになる前に、必ず私に教えて」
 彼女は町に帰っていく前に、必ずそう念を押す。
「カヲル一人で支えなくてもいいの。幾らカヲルにアダムの魂があっても、膨大な情報を持ったこの世界を一人で支え続けるのは無理。それではいつかカヲルが失われてしまう」
 確かに彼女の云う通り、今はまだ大丈夫でも、カヲル君一人でずっと支えていくことは多分無理だと思う。いわば、カヲル君とこの世界は共生関係にあるようなものではないだろうか、と思うのだ。世界が存続することはそのまま多様性が維持されることで、世界が終わるということは、そのまま永遠に生きる彼にとって、「色を失う」ということなのではないだろうか?
 そして、カヲル君を失うということは綾波にとっても耐えられないことだというのは、彼女を見ていれば判る。カヲル君にとって綾波がもう一人の自分であるように、綾波にとってのカヲル君ももう一人の自分で。
「カヲルは私に時間をくれた。でも、私にも選ばせて欲しかったの。…そう思うの。」
 その気持は、僕にはとてもよく判るので、僕はわざと少し大袈裟に肩を竦めて、
「ほら、カヲル君って、マイペースだし」
 ちょっと冗談ぽく云ってみると、綾波は微かに笑った。
 相変わらず、感情表現が豊かとは云いがたいけれど、こんなふうに笑う事は前よりもずっと増えたと思う。だからこそ、綾波の気持と同時に、彼女にもっと色んなものを知って欲しかったのであろうカヲル君の気持も、僕は判ってしまったりする。
「今度は私がカヲルに時間をあげるわ。順番で支えていけば ―― 」
 カヲル君と交代するということは、今度は綾波が1年の半分を眠るということ。それを改めて考えると、少し胸が痛む。
 僕の胸が痛むのは、それが僕の選択から産まれた結果だからだ。自分では世界を支える力も壊す力も何一つ持っていないのに、どうしても彼等二人がいる世界を欲しいと願ったのは僕で、それが今に反映されている。
 けれど、例えどれほど身の程知らずな高望みだったと自覚していても、綾波が補完の母体になったり現実から消えてしまったりするよりずっといいという気持は変わらない。そちらを選んでいたなら、いまこんなふうに笑う彼女を見ることはできなかったのだから。彼女が笑うことが増えていく、それも僕にとっての欠かすことのできない色彩。世界を彩るもの。
 だから、支えようとしてくれる彼女に、ごめん、と謝るのはなんだか違う気がした。
「ありがとう、綾波」




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