ハーメルン ( 3 )





 暗い森にはひっそりと秘密が埋められている。


 代々続く家系は、多かれ少なかれ「闇の側面」を有している。歴史的にも、財産や地位を分散させないため、より純粋な血を求めより集約された繁栄を求めて、時に近親婚が黙認され、時に政略結婚が強行される。そして歴史とともに濃く凝った古い血は「闇に葬られるもの」をも生み出す。能力のないもの、欠けた部分を持つものは、容赦なく排除される。裏を返せば葬られた者たちの屍の上に築かれた繁栄ともいえるだろう。

 碇の家には、その血と名の継承に相応しい「闇」があった。

 黒い眼黒い髪の人々の住む古い島国の、さらに閉鎖的な山間の地方において、それは「魔」と呼ばれた。
 磁器のように白い肌、晒したように薄い色の髪。
 何より、血そのものを連想させるほど赤いその瞳。
 そう、山間の土地に根ざし、外部との接触が無いに等しいまま時を経てきたその地では、それらは魔にしか見えない。異常な出産は、総じて「祟り」「呪い」とされた時代である。現代ならば遺伝的な説明でかたが付くそれも、黒い瞳に黒い髪という、自分と同じもの以外を知らない人々の前には意味を持たなかった。
 碇の家には赤い瞳の魔が生まれる。
 それはいつからか碇の家に取り付いた呪いだった。
 密かに囁かれる噂は、或いは「鬼神と取り引きをしてでも戦に勝とうとした」、或いは「戦で殺してきた武将達の呪い」、或いは「憑き筋の家ゆえの繁栄と代償」……


 最初の子は、恐らく、異形の子としてただ迷信の内に処分されたのであろう。
 そして幾世代かに渡って何人かの「赤い子供」が産まれるに至って、それはいつしか暗黙の了解となり、暗黙の了解は掟となり、ひとたび定まった掟は幾足りも繰り返される事となる。昏い秘密の継承。
 それは幾人めの「死産」の果てだろうか…?
 また一人、人を魔として葬ったその後に、必然か偶然か、水害や疫病や震災、また説明のつかない怪異が続いた。
 誰しも一度や二度の災害ではまだ立ち上がる事もできるだろう。
 しかし、それが重なれば?
 農作物に甚大な被害を受け、食べるものを失えば人は飢える。
 水害で流された家を立て直しても、再度地滑りで住む家を失えば、人は心迷う。
 疫病が流行れば、人は恐れる。
 それらは終局、「死」に繋がるからだ。
 偶然か、必然か?
 それらを訳知りの者達が考えあぐねる最中に、その事件は起った。まだ壮年に至ったばかりの碇家当主が、ある日唐突に頓死したのだ。死因も判らず、それらしい兆候すらなかったままの突然の当主の死は、領下における天変地異と相まって、「いったい何が起きているのだ」とこの地に住まう者達を恐怖に震撼させた。

 未だ信仰と天地の理が融合している時代でもある、その言葉が囁かれるまでに、そう永きは待たない。
 これは何かの祟りではないのか。
 はじめは下層の農民たちのつぶやきだったものが、繰り返される災害ごとに疑いようのない疑惑となって民の間でくすぶり続け、いつしかそれ自体が疫病のように支配階層へも染み渡りだした。
 「処分」に関わった者達は、己が手を染めた忌み事の全てを知っている。例え彼らがどれほど魔について口を閉ざそうとも、地から湧き上がるように囁かれるその声は日増しに大きくなる。一方で、彼ら自身、その声の方向へ徐々に傾いてしまうのを止める事ができない。
 いわく。
 魔は、魔であるが故に祟るのだ、と。
 永年闇に葬ってきた魔が、何の封じもされぬままにおかれて、祟らぬはずがないのだ、と。
 それまでに築かれた膨大な魔物たちの骸。殺され続けた赤い子供達の怨嗟の声が、ついに溢れて地上に達したのだという者まで出た。
 そして、魔を忌む心は、同時に魔を畏れる心に通じる。
 魔を畏れる心が求めるもの、それは「救い」だ。
 災害からの救い、恐怖からの救い、罪からの救い、それらを求める心が縋るのは、この時代、宗教的儀式に他ならない。力を有すると言われる者達が呼ばれ、魔を押し込めるために大仰な儀式が幾度も執り行われる事となる。しかし ── どんな力や配剤によるものか ── 災害や怪異は、留まることを知らぬ気に国力を揺るがす程に続いて行った。
 魔は祟る。
 くり返された調伏の祈祷も利き目無く、その年幾度めかの洪水に襲われた後に。
「この魔の力は尋常ではない、調伏もきかぬ、」
 罪を犯した内の一人が言い出す。
「調伏もならぬ魔は、祀らねばならぬのではないか」
 力で押さえ込めない程の魔は、既に神にも等しい。
 多神教の地に於いて、神は、人を守るだけのものではない。そもそも神とは人智を超越した力への人の畏怖より生まれるもので、恵む神は翻せば奪う神ともなる。人は長い間、どちらの神をも畏れ敬い祀る事で恩恵や安寧を求めてきたのだ。
 超越した力への畏れは、自ら魔と貶めたものをも神と奉じさせる。
 それは最早狂気に限り無く近い畏怖、くびり続けた生命の上に生き長らえる者達の、最も恥ずべき罪業は、何よりもその小心さ、ひいては小心さからくる傲慢さだったかもしれない。葬って来たものを神となす行為こそは、「家」という魔物への贄として葬られた者達への、厚顔無恥な命ごいでしかないのだから。

 はたして、偶然か必然か、魔を神となした後、災害や怪異がぴたりと止まった。
 調伏ならぬ魔は神とされ、祟る力は祀り上げる事で縛られた。魔を神と転じた事で、手を汚した事すらも贖罪されるかのように、社を築き、選りすぐった奉納の品々を捧げ、「名」をつけた。
 以後、碇家に生まれる「赤い子供」は、魔でありながら神となる宿業を背負わされる事となる。
 忌むべき魔として闇に葬られながらも、転じて神となされる事で、死しても忌わしい因習から解き放たれることはなかったのだ。
 人は弱い。
 何かを犠牲にせずにはおれないほどに。
 そして弱さ故に群れを作る。
 群れから外れた者を「はずれ」ゆえに贄と貶め、ひいては自らを群れに同化させる証左と成す。
  ── それをエゴと呼ぶべきか、生きるための智恵と呼ぶべきか ──




      ■■■




 広大な森は御猟地として猟師や農民は近づくことを厳重に禁じられていた。
 物見の塔として作られたそれは古く、領地がそこからさらに北に広がるまでは実際に他国との境界を守るための重要な拠点だったのだが、今となっては用をなさない打ち捨てられたはずの建物だった。
 しかし使われていないはずの建物には何故か見張りがつけられている。数日ぶりの獲物である見事な大鹿を追ってうっかり踏み込んでしまった猟師は、塔の見張りに見咎められ殺されかけた。幼子を理由に必死に命乞いをしたが、罰として片耳を落とされ、塔を見た事を一生黙する事を命じられた。万一口外すれば家族もろともに口を封じると脅された上でだ。
 近づいただけで耳を落とすほどの禁忌なら、喋れば本当に殺される。
 猟師の子は猟師にしかなれず、それならば我が子もいつか同じ目にあうかもしれない。
 禁忌を奥深く潜ませた土地から、彼は家族を連れて逃げ出した。


 生まれて十五になるまで、広大な敷地の北の一角にあるその塔に閉じ込められて彼は育った。高い天守のその部屋は、入り口に常に施錠がされ、窓には不似合いな程頑丈な格子が付いていた。最低限の調度と広さだけはあるものの、紛れもないそれは牢獄。
 赤い瞳、砂色の髪。
 碇の家にかけられた呪いを一身に受けて生まれた「魔の子」として、決して表沙汰にはならない家訓に従い、彼の誕生は死産として処理された。
 母親たる女は、出産の痛みで朦朧とする中で確かに産声を聞いたのだが、それも口外するを許されず、夫や義父義母より赤子は死んだのだと言い含められ、産婆すらそれに頷くという状況では、それを信じる術しか残されていまい。嫁という立場なりの保身…婚家での居場所は、跡継ぎを儲けるまで無に等しいのだから。(特に碇家に於いてはなおさらに。)

 実際には。
 幸いと言うべきか、第一子として生まれたために、命だけは長らえた。…次の「嫡男」が生まれるまでの期限付きで。彼がそれまでの赤い子供の中でも例外な程長く生かされたのは、彼の代わりとなる男子の誕生が極端に遅れたからに過ぎない。
 彼には名前は与えられなかった。言霊の存在を信じるこの国で、呪いを内包して生まれ落ちた災いの子に自ら名前をつけるものはおらず ── 本来なら次代の総帥となるべき総領息子として臣下にかしづかれ、何不自由なく育まれたであろう彼は、その生を知る者は片手の指で足りるほど。
 せめて、髪の色が黒ければ、眼の色が黒ければ…いや、髪ならば染め粉で黒く染めることもできるだろう、しかし、何よりもその血のような赤い瞳は隠しようもない。
 本人に何の罪咎の無い単なる「体質」。だが、時代は、人々は、それを許しはしなかった。

 生まれてしばらくは、乳母としてただ一人の女が彼の世話をした。子を無くした女を攫ったものか、在所から言い含めて(恐らく金品と引き換えに?)連れて来たものだろうか。ともかく、次の第一子を迎えるまでの間は、魔物の子といえど、死なせる訳にはいかないのだ。「魔は祟る」。跡継ぎを設けないままに死なせて、万が一のことがあれば碇の家はどうなる?
 そして物心つく前にその乳母とも引き離された。換わりに身近に控えた者は、年輩の男と壮年の男二人。二人は最低限の言葉を交わし、最低限の接触をした。彼が大人しい性質のために打たれたりといった虐待はなかったが、しかしそれは結果論に過ぎないだろう。要するに魔物の子が逃げ出す事のないようにとつけられた、ていのいい監視役でしかない。いざとなれば刃にかけても魔物を幽閉するために選ばれた者達だった。

 濃くこごった血は、時に優れた者を産む ── 幽閉の最中、年を追うごとに子供の類い稀な資質は明らかになる。接する人が極端に少ないにも関わらず、わずかながら言葉を憶え、眼に入る全ては糧となった。これまでの子供は、同じ扱いを受けて人形のように育ったと言うのに、彼には漠然とだが自我が生まれてさえいたのだ。
 聡明さはだが、逆に彼を苦しめた。自分の生は否定以上の「呪い」なのだと、彼が感じ取るのに時間はかからない。赤い目と鳩羽色の髪、接触する人は僅かでも、誰一人として同じ色を持たない。その上で一方的に向けられる怯え、嫌悪、憎悪。彼に触れる事も厭うような大人達の中で、彼は自分が存在することが罪なのだと肌で理解した。
 彼は深い孤独を知る。深すぎる孤独は絶望となんと似ていることだろう…しかし、その孤独すらも名前を持たない。人にとっては、魔の子が「孤独」などを感じるはずもなく、喜びや悲しみと言う感情すら持たないはずで、一度魔として生まれた以上自分達と同じ人と見なされる事などないのだ。
 孤独はやがて諦めとなり、外へと向いていた意識は内へと向かう。
 芽生えたように見えた自我が閉ざされ、むしろ周囲のものは安堵した。
 なぜなら、子供は恐ろしい程に愛らしかった。秀でた見目だけでなく、向けられる眼差しは深く澄んで幼い声は甘い。魔だと判っていてさえ、つい思わず手を伸べたくなる程に。
 だがそれゆえになお畏れられたともいえる。
 魔は人の弱みにつけこむもので、いとけなく見える姿さえ魔である証拠。抑え込まれているはずの今でさえこれほどなのであれば、力をつけて目覚めた時にはいかほどのものか。
 子供が口を閉ざし人を視界に入れなくなったことはむしろ吉兆と捉えられた。
 これまでのように不要になるまでの間だけ人形を見守ればすむ、と。

 そして。
 彼にも“縛られる”時が巡り来た。
 本家についに男子が誕生したのだ。
 万難を排すべく、夜鳥の鋭い鳴き声が硬質な空気を震わせる真夜中、儀式は始まる。
 闇に紛れ込むような黒い装束を纏った男達に担がれ、輿は森へと分け入ってゆく。陰鬱な行列はまるで冥界の死者の行進のようだ。粛々として進む行進には音も無く、見る者があればまさに死神の行軍と思い、恐怖におののいた事だろう。
 乗せられたひとがたは一度も抵抗しなかったのだが、何を恐れてか幾重にも縄がかけられている。
 孤独と諦めが彼を覆っていた。
 生を受けた事を疎まれているのだと気づいた時から、漠然とした予感はあったのだ。
 何故疎まれるのかと問うても答えがない事も、かけられた縄の持つ意味も、初めて天守の部屋を出された意味も、彼はすでに本能で理解していた。

 輿から引き出された先には社があった。
 その社の前には、大きな沼が。
 地面に埋め込まれた石畳は、沼に向かって緩やかに傾斜していた。
 抵抗など何一つしていないのに、力任せに石畳に座らされた。後ろ手に回され縛られた手首が痛む。取り囲む者たちは、彼に顔を見られる事を拒むかのように(あるいは畏れるかのように)、みな一様に面をつけていた。今まで片手で足りる数の人間しか見た事がなかった彼には、十分に驚きに値する数が、彼を中心にぐるりと半円を描いている。
 ゆるりと周囲を見回した彼にも紙でできた面が着けられようとしたが、それだけは首を横に振った。たとえ闇に沈んでいても初めて見た世界を遮られたくなかった。
「今より、あなた様は神となられる。」
 人にまともに言葉をかけられたのは何年ぶりかだが、男の低い声が宣じた言葉の意味を思う前に、彼の五感は正面の社に引き寄せられた。何かがそこにいる、という強烈な感覚。闇に溶け入りかけた輪郭が徐々に浮かび上がり沼を超えてこちらに迫ってくるような奇妙な錯覚 ── それとも、引き寄せられているのか?
 遠いはずの社に今しも飲み込まれそうな感覚、くらりと目眩がして、意識が何かの声のようなものを捉えた気がした。
 しかしそれは奇妙なことに、歓喜に似ていた。
「碇の家を守護せしめよ」
 再びした男の声に、奪われていた意識がふと自由になり、感覚が戻った視界の端に白刃が映る。
 持ち上げられる中、わずかな炎を受けて照り返すそれは、むしろ美しかった。
「これ以後、御身を夏折様と」
 御呼び申し上げる、と発された言葉は、空を切る刃がかき消した。




      ■■■




「 ── どうしたの、カヲル」
 触れられた額の感触に、カヲルは覚醒した。
 上から覗き込むようにして、自分と同じ赤い瞳が見つめている。暗がりにもほんのりと浮かぶ赤は、それが人ではない事を物語る。
「…ああ、レイか」
 薄くため息に似たものを吐いて、カヲルは数度まばたいた。
「夢をみてた」
「…夢? 昔のもの? …それとも、先の?」
 この状態になった今は、本当は睡眠など必要としていないのだが ── もとは人として生まれたためだろうか、時折、睡眠に似た意識の遊離が起きる。その時に浮上する残像や映像を二人は夢と呼んでいた。他に適当な言葉がないせいだ。大抵は記憶の反芻。あるいは自分では経験した事のない過去の情景。互いの記憶を垣間みる事もあった。だが、時折違うものが紛れ込む。
「残念ながら、昔の記憶さ。あの日の、ね」
 二人共に、縛られた日の ── 殺された日の ── 記憶は鮮明だった。
 全てが終わり、全てが始まった日。
 忘れることを許されないかのように、それは何度も鮮明に夢に蘇った。最初の頃はその夢に打ちのめされるばかりだったが、長い時間の中でそんな夢にもいつしか飽いた。とうてい変えようのない過去の残滓だ。今となってはただ退屈なものでしかない。
 レイの指がそっとカヲルの寝乱れた前髪を整え、手のひらが頬をやんわりと撫でた。暗がりに浮かぶ白い肌を、同じくらい白い手が肩から腕を伝って指先までたぐる。辿り着いた指を自分のそれで包み、カヲルはその指先に口づけた。
「君が、いてくれて、嬉しいよ…レイ」
 その言葉のもつ意味を、レイだけは余すところなく理解できる事をカヲルは疑わない。時代は違えどカヲルと同じ運命を辿った少女。同じ孤独と絶望と ── 希望を持つ、ただ独りの存在。
「ええ、私もよ、カヲル…」
 白い面輪は、柔らかな笑みで呟いた。
 彼ら程の年齢まで生き延びる事ができた者はまれであったのだが、不思議な事に、赤い子供は総じて非常に整った容姿を持っていた。髪と眼の色さえ黒ければ、彼女は碇家においても希代の美姫と詠われたことだろう。生まれた時代を思えば美しささえ政略結婚の道具とされた事は避けられないだろうが、嫁ぎ先では幸福と言える一生を終える事も可能だったはずだ。
 しゃらりとかすかな音をたてて、レイの髪がカヲルの頬を滑る。しっとりと触れて来た唇が、くちづけを繰り返しながら滑らかな頬をたどって甘く耳朶を食む。
「少し、楽しい事をしたいわ」
 耳元で珍しくそんな軽口を漏らしたレイに、カヲルは軽く声をたてて笑った。
「少しといわれてもね」
 微笑む半身を腕に迎えて、カヲルは柔らかな体を愛おしむように撫でた。


 彼らにとって夢は大抵が過去の残滓だ。
 そして…時折違うものが紛れ込む。
 過去に見た未来に、カヲルは思いを馳せた。

 暗闇の中、かすかに漏れる泣き声。迷っていた幼い子供。

『おにいちゃん、だれ…?』
「僕は、夏折」
『おにいちゃん、ぼくをしってるの?』
「…知ってるよ。とてもよく、ね。」




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postscript

前回掲載してから、ものっそ時間経過してたので、メモがなくなってたりで色々と〜〜(^^;)
今回はカヲルの過去というか、碇家の過去というか…またもやBL色が皆無ですいまてん。
でもハーメルンは書き出した当時からBLエロ担当の話ではないので、そこはご理解くださいましー。
カヲレイは相変わらずいちゃついてますが(笑)