銀兎文庫::novels1
「使徒の再生?」
「そう。
使徒の魂をサルベージし、
補完に使用する計画が発案されたの。
碇指令からね」
「あのとき、みたいに?
危険過ぎるわ」
「確かにね。
けれどこれは最後の賭けなのよ」
「賭けって、
負けましたで済む賭けじゃないのよ?!」
「わかってるわよ。
ただ、ひとの力で補完を行なうには、
エヴァはどうしても必要なのよ」
「エヴァ?
パイロットのいないエヴァシリーズが?」
「いいえ、パイロットのいるエヴァシリーズが、よ」
「………パイロットって云ったって、
三人とも乗れるような状態じゃないわよ」
「そうね。
だからこその使徒の再生よ」
「…………どういうこと」
「ただの実験材料というわけではないの。
今回の使徒再生はね」
「……相変わらず、秘密主義なのね」
「反対なのね、
葛城作戦部長」
「使徒の再生なんかに、
賛成できるわけないじゃない」
「………………」
「………それ、あの子達のためなの?」
「……そうなることを願うわ」
「一度、」
「え?」
「一度だけ信じるわよ。
…………でももし失敗したら、
あんたを赦さないから」
「……………そうね、
私も、赦したくないわ」
■◆■
「シトノ、サイセイ?」
彼女の云ったことばを、
ぼくはそのまま反復する。
「そう。研究目的でね。
保管されていたボディーを縫合、組織の復元を行なっているの。
魂のサルベージも成功したわ」
「…………………」
知っているひとにあうのは随分久しぶりだ。
あの家を出て放浪をしていたら、
知らないひとがぼくを連れ戻しに来て、
ネルフの地下の、誰もいないフロアに部屋があたえられた。
たまに見かける人影は、三度の食事を持ってくる、
同じ制服を着た、いつもちがう誰かの背中。
囚われているようで気分はよくない。
けれどこれまでと、一体なにがちがったというのだろう?
知った顔を見ないですむだけでもいい。
そう思っていた。
そうしたら突然呼び出しがかかって、
疲労をレンズの奥に隠した、
金髪の女性はよくわからないことを云う。
「わかりません」
ぼくは正直にそう云った。
耳がきこえないわけじゃない。
目がみえないわけじゃない。
ただよくわからない。
目の前にあるものも、
このヒトがなにを云っているのかも。
「…混乱するのも無理はないわ。
今日はただの報告よ。
レイもアスカも、
この計画に参加することになっているの。
勿論あなたもね」
「……わかりません」
また、ぼくは云う。
これ以上、ぼくになにをさせようというんだろう。
綾波?アスカ?
……………なんだかとおいなまえだ。
しらないひとのように。
「葛城三佐の許可はとってあるわ。
これまでより、検査の回数が増えるかもしれないけれど」
「………………」
検査?
またエヴァに乗るんだろうか?
使徒はもういないのに?
わからない。
なにを云っているのだろう。
「ただ強制ではないわ。
嫌だというならネルフからはなれることもできるの。
……どうする?」
どうするってなんだろう。
強制ってなんだろう。
エヴァにだって、乗りたくて乗っていたわけじゃない。
みんなが乗れって云ったから乗っていただけだ。
今度もまたみんながやれっていうのなら、
「以上よ、部屋に戻っていいわ。
…今日はただ、」
ぼくはくるりとうしろをむき、
ドアに向かって歩き出す。
決してぶつかることさえありえない、
かがみのような銀色のドア。
意思のないこれのようにぼくもヒトが前に立てばひらくだけ。
「……………」
かつ、かつ、かつ、
自分の足音もずっととおくで聞こえる。
きっとこのどあのむこうがわで、
半透明のぼくのたてる足おとなんだ。
「渚カヲルが再生されたということを伝えただけよ」
「……………………」
「またあしたね」
「……………」
開きっぱなしのドア、
なぜこれは閉じないのだろう?
ぼくはゆっくりと彼女を振り向き、
見なれたはずの謎めいた微笑をみつめる。
「…………カヲルくん?」
「使徒、よ。
第十七使徒は再生されたわ」
「…………カヲル君」
「そうね、
エヴァと自由にシンクロする能力を持っていたから、
フィフス・チルドレンとも云えるわね」
「………カヲル君」
開いているドア。
ぼくは走り出す。
「……カヲル君」
足を踏み出すたび、銀のドアはひらき、
背後で閉じていく。
何枚も、何枚も、何枚も、
けれどそれらは一枚もタイミングをずらせず、
ただぼくの身体だけは云うことをきかなくて、
少しのひずみのない床にさえつま先をひっかけてバランスを崩す。
「…カヲル君」
こえがした気もする。
だれの?
わからない。
知っているひと?
わからない。
どこで?
わからないよ!!
そんなことただどうでもいい、
ぼくの胸の中で、
たったひとつ存在と結びついて繰り返された名前、
カヲル君、カヲル君、カヲル君、
「カヲル君!!」
とうとう開かないドアがぼくを阻む。
「開けて!!
あけてよリツコさん!!!」
リツコ、さん。
…………そうだ、彼女はそういう名前だった。
怜悧な横顔、白衣、
ただ端的に評価されているという気がして、
近寄り難いけれど冷たいのとはちがった。
その空気が、嬉しいときもあったんだ。
「リツコさん!!」
がんっ、
鈍い音がして、ぼくの手のひらのきわが痛んだ。
いたい。
………痛い。なぜ?
ぼくはその場にくずおれて、
手よりも痛んだ身体のおくを抱え込むようにした。
痛い、……手を、打ったからだ。
このドアをあけようと、こぶしを打ちつけたからだ。
「………おねがい、あけて…」
じゃあ何故ぼくはうずくまるのだろう。
たちあがって、もっと強くこのドアをたたき、
どこかで聞いているあのひとに頼まないとならないのに。
……何故、ぼくの声はどんどんかすれていくのだろう?
「シンジ君」
傍らのエレベーターがすっとあいて、
リツコさんともうひとり、
少し堅い表情をした女のヒト………
「…………ミ、サトさ?」
「シンジ君、
使徒の再生はまだ完全ではないの。
組織の復元には時間がかかるのよ」
「………それでも生きているんでしょう?」
「……自律呼吸は、しているわ」
「生きて、」
「……………」
「………逢わせてください」
「シンジ君、相手は使徒なのよ」
「……カヲル君です」
「危険だわ」
「なぜ?」
ぼくは声を出して笑った。
危険だって?
だれが?誰に?
カヲル君がぼくに、危害なんてくわえるわけがないじゃないか!
もし害を為すならぼくの方だ。
「なにもしませんよ、
ぼくは、なにも」
「シンジ君」
「逢わせてください。
彼にあいたいんです」
「彼の意識が、ちゃんともどってから…」
「意識なんてなくてもいい!
………彼の身体が不完全だって云うのなら、
硝子越しでもかまわない。
触れられなくてもかまわないから…!!」
「…………………」
ミサトさんは黙ってぼくを見ていた。
それは、ぼくを叱ったときとも、
無言で見送ったときともちがう顔だった。
……………けれどどこかでみたことがある。
……ああ、はじめて逢ったとき、
父さんがぼくに
『 エヴァに乗れ 』
と云ったとき、
慌ててとめたときの顔。
………まるで理解し難いものをみるような…
…………ぼくは、父さんと似ているのだろうか。
殺した彼を再生する父さんと?
「……殆ど意識は戻っていないの。
体力的にもね」
「リツコ!?」
「十五分だけよ。
いいわね」
「充分です」
ぼくは笑って、カードキーを受け取った。
…………かれを待ちつづけた日々と、
彼を悔いつづけた日々を思えば、
手渡された華奢な時計の針の音も、
揺れる心臓ととなりあわせの時限爆弾。
「………………」
竪穴を降りたところにある、窓のない部屋。
壁にはよくわからない線が走っていて、
たぶん、彼やぼくにのぞましくない選択を、
握っているのだと思う。
ドアは三重、
ぼくは七回のボディーチェックを経、
やっとカードを最後のドアに差し込んだ。
………消毒液のにおい、
嗅ぎ覚えがある。
エヴァに乗るたび運ばれた部屋の匂い。
キャスターのついた、白いベッドの中に、
彼は立ち並ぶ医療器具のひとつのように収められていた。
「………………」
あまりに長い間離れていたから、
定かには覚えていない気がする。
白い膚、赤い瞳、銀色の髪、
たったの一晩、
話して眠ってそのあと殺した。
「………………」
ひどくきれいでさびしくわらった。
かれのことはたったそれだけ。
………ただ彼の『 死 』は、
誰よりもなによりも覚えている。
だれよりもなによりも識っている。
けれど一体生きている彼を、
ぼくは本当に覚えているだろうか?
ぼくはそっとベッドに寄る。
かすかな足音でも、
わずかな記憶は逃げ出してしまいそう。
ここに横たわっている彼は、
ほんとうにぼくの識っている、ぼくを識っている彼だろうか?
全身にまかれた包帯どめのひとつをぼくは外す。
かれのこと、かれのこと、かれのことを、
「…………カヲル君」
白い膚、赤い瞳、銀色の髪、
否、それは彼ではない。
ほそい手足、うすい唇、ひいでた鎖骨、
否、それも彼ではない。
「カヲル君」
けれど確かにそれは彼だった。
一本の包帯をすっかり解き終え、
ぼくの目はそこに現れた『 彼 』をみつめる。
唇が彼の名を呼び、
指が彼の形をたどり、
ぼくは彼の存在を認識する。
「カヲル、くん」
『 彼 』とは、その首の傷。
「カヲル君!カヲル君!!」
ぼくはベッドの柵をつかみ、
点滴のくだがゆらりと揺れる。
彼のしろいくびすじに、
いっそそれより太くみにくく刻まれた赤い縫い痕。
ぼくのこの手の中に、
まるで丸めた紙くずのようにたやすく壊れたきみのいのち、
「カヲル君。
カヲルくん、カヲ、るくん、カをる、っく、…………ん、か、…」
あいたかった。
夢にさえやさしいきみは、
ほんとうにぼくのあいたいきみじゃあなかった。
夢の中のきみはやさしくしろく、
どこにも痕なんてありはしなかった。
あのよるのままのきみだった。
けれどぼくの腕の中で、
振りまわされるまま睫毛も動かしてはくれない、
きみはあちこちに管をつなぎ、
白い布のしたには壊れた痕を残している。
ぼくは泣く、
あまりにもうれしくて。
術衣を脱がせ、ぼくのつけた痕をたしかめながら、
ぼくは笑う。
此処にいる彼は、
ほんとうの彼なのだと、
ぼくが壊した彼自身なのだと、
包帯を解き、ひろいだす傷の数だけ確かめる。
赦された15分がおわるころ、
彼はくもの巣のなかの蝶のようにみえた。
■◆■
「………ありがとうございました」
ぼくは彼女にキーを返す。
もうミサトさんはいなかった。
「…少しは、信じるつもりになったかしら?」
「信じる?
………なにをですか?」
「指令の計画について、よ。
あなた方に話せることはほんの一部なのだけれど」
「あなた方?
……カヲル君のことですか?」
「いえ、アスカやレイのことよ」
「………二人は、なにを?」
「それもまだ一部しか答えることはできないわ」
「そうですか。
一部でも構いません」
「……レイはプラグに這入っているわ。
アスカはまだ病室、シナプスをエヴァと繋げてね」
「エヴァと?
……ぼくもエヴァに乗るんですか」
「いやかしら?」
「…………」
ぼくは彼女のデスクをみる。
いつも置かれていた、猫のおきものがなくなっていた。
珈琲カップもちがう。
「……いえ、
乗りますよ、エヴァにでもなんにでも」
「……………そう」
彼の部屋の中を、
かれらが見ていなかったはずがない。
ぼくには隠すことはもうなにひとつありはしなかった。
もし彼女が……父さんが、
切り札を決してぼくに見せないとしても、
ぼくの手札は全部知られている。
ぼくは片手を彼女に差し出した。
「交換条件があります」
「…なにかしら?」
「エヴァのパイロットが必要なんでしょう?
……ただそれと引き換えに、」
「……………引き換えに?」
「毎日、彼にあわせてください。
十分でも十五分でも構わないから」
リツコさんがぼくの目をじっと見詰めてくる。
ぼくもそれをまっすぐに見詰め返した。
……ふしぎだ。
今までは彼女の目の中では、
なにごとも曖昧にはできない気がしていつも目をそらせていた。
なんで、平気なんだろう。
「…………」
ああ、……目をそらせていたのは、
べつに隠そうという意図があったわけじゃなかった。
エヴァに乗る理由も、ネルフに居る理由も、
学校に行くわけも行かないわけも、
これまではなかった。
尋ねられても答なんてなかったんだ。
だから目をそらせていた。
隠したかったのは、
隠すものを思い当たらない自分自身。
エヴァに乗る理由もネルフに居る理由も、
彼女の目を見据える理由も、
みつかったならもうかくしごとなんてする必要が、
「もうなにも、………だれもうしないたくないんです」
「…わかったわ」
「………………」
「ただし、午後六時からの三十分、
彼の体調が悪かったり、検査と重なった場合は中止になるわ。
それでもいい?」
「はい。構いません」
「同意が得られてうれしいわ」
彼女がぼくの手を握る。
皮膚のやわらかな、
ぼくよりも少しながい指。
「……………」
鼓動が聞こえる。
心臓のおとが。
自分が生きているという実感のために眠れないのなんて、
あの夜以来のことだった。
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