銀兎文庫::novels1
「シンジクン…」
耳に滑り込むようなカヲルの囁きに、ピク、と体が反応する。視線を上げると、カヲルが薄く笑みを浮かべながらこちらを覗き込んでいる。婉然とした微笑はまるで強い媚薬のよう ―― その濡れたような赤い瞳に捕らわれて、一瞬呼吸が止まった。
カヲルは1年と云う年齢差の分だけ、シンジよりも幾分背が高いが、細さはシンジとほとんど変らない。なのに、カヲルに軽く顎に手を添えらる、それだけでもう全身が動けなくなってしまう。それは物理的な力のせいでなく。
唇が頬に目蓋に鼻筋に触れてくる。何度も雨のようにくり返されていくうちに、頬がどんどん熱くなってきて、
「…ん、っ…はぁ ―― 」
髪に指を差し入れられて、のしかかるように深く口付けをされると、それだけでおぼつかなくなり始めた膝から力が抜けていく。舌に絡まる唾液の音と、それ自体別の生き物のように口腔を翻弄するカヲルの舌に、しびれを伴った目眩が襲って来て、あっというまに体が真芯まで熱くなる。
細いけれどしなやかな腕が巻き込むように腰に回されるのを感じて、シンジの腕も無意識にカヲルの背に回る。カヲルに舌先で舌の裏をくすぐるようにされてしまうと、かくんと膝が砕けて、自分の力では体を支えていられなくなってしまって。まるで溺れた人が縋り付くように、カヲルのシャツの背中に爪を立てた。
押し付けられた壁に添って、重なった体がズルズルと沈み混む。繰り返される深い口付けに、唇の端から唾液が滑り落ち、それさえも火に油を注ぐばかり。ぞくぞくと冷たい熱が首筋をかけ登り、下腹に熱い塊を意識する。
だが、次の瞬間、シンジはカヲルに侵蝕され始める。
「カ、カヲ ―― っぁア…っ、」
重ねられた唇と舌、回された腕、絡められた足 ―― 触れあった部分から、カヲルがシンジの中に「入って」くる、それは圧倒的な快楽だった。脳の細胞全てが灼け付くような感覚と、体の隅々までを蹂躙される感覚。五感の何もかもをカヲルに暴かれる。声帯さえももうシンジの自由にはならず、後はか細い声だけが止めど無く洩れるだけで。
心だけでなく体さえ互いに混じりあい、無意識の呼吸や身じろぎまでが刺激となり、相手の感覚までが自分の感覚になる。人同志の肉の繋がりとは違う異質な交合、だが、シンジはまさに細胞の1つ1つまでを愛撫されていた。
中枢神経を直接刺激される強すぎる快感に体は何度も痙攣して到達するが、その頃には、それを自覚することもできない処まで攫われてしまった後だ。
目が覚めると、服は乱れて半ば着たまま。身じろぎした拍子にぬめった下肢の感触に、シンジはカッと頬を赤くする。
最初にこういう交わり方をした時は、その後羞恥で死にそうになった。カヲルからしかけられると、今のようにいつも自分だけがどろどろになるほど汚してしまうからだ。それはカヲルはシンジが求める欲望をシンジ自身から読み取っているということでもある。自分だけ酷く汚した羞恥と、シンジの快感だけを優先したように一方的に見えたやり方に、最初、シンジはカヲルに対して腹が立った。半分は羞恥の裏返しの八つ当たりだったけれど、それだけではなく。人であるシンジにとって、セックスとは別個のままで繋がることだったから、カヲルがまた、シンジだけを優先していたと思ったからだ。
でも、使徒であるカヲルにとっての快楽は、人の定規では測れない。
群体としての人と単体としての使徒は成り立ち自体が違うから、使徒にとっては相手と同化し感覚や欲望を共有する「侵蝕」がセックスと同義だ。
「僕は個体で完全体の生き物だから、「生殖行為」というものが存在しない。リリンの男女がするような、子孫を残すための交わりという定義が僕という生き物にはないんだよ。でも、その代わり、とても強い欲望があってね」
カヲルは、半ばムキになっていたシンジを引き寄せると、シンジの胸に自分の手のひらをぴったりと添わせた。
「君達には、僕にはない多様性がある。僕の欲望は、知ると云うこと。こうやって ―― 」
つぷり、と、肌がぞくりと泡立つような感覚と共に、カヲルの手がシンジの体に沈んだ。カヲルの手がシンジの体と同化している光景は余りに異様なのだが、同時に、シンジはどうしようもないほどの快感で戦慄すら覚えた。
「君の心や、体や、引き起こされる反応とか、君の感じる快感とか、君が無意識に求めているものとか、」
熱っぽく潤んだようなカヲルの声が、耳からではなく、直接頭の中に入ってくる。
『君から生まれる全てのものが、僕にとってはたまらなく魅力的で ―― 』
下肢が解け合うと、一番過敏な神経を、肌の内側で直接刺激される。
『…たまらなく気持よくて…』
「…、…、ァ、っ、…る、く ―― 、…、…っく…、」
『全部、欲しくなっちゃうんだよ…?…君の、何もかも…君が僕から見つけたものでも、例え、どんな些細なものさえ…』
『全部見せて ―― 君の細胞の一つ一つも ―― 君の感じた全ても ―― 』
僕がこんなに欲深くなったのは一体誰のせいだと思っているの、と、笑みを含んだ熱い声が、した。
結局、カヲルのいう「欲望」をそのまま実地で理解させられた。
暴かれることに対する羞恥はいまだになくなったりはしないけれど、カヲルが求めてくれるのなら、と、どこかで開き直ってしまっていた。何度かそうされるうちに…慣れた、という処も、あるのかもしれないが。
きっと、当たり前の人達から見れば、シンジは狂って見えるだろう。
人でないものと交わって、あさましく悦んで。
でも、例え誰に嫌悪され蔑まれても、もういいと思う。
確かに、体が感じる快感は前後不覚になって溺れてしまう程に激しく強い。
でも、心が感じる快感は、もっとつよい。肉の快楽をはるかに凌駕する、“求められている”という快楽。体にしろ心にしろ、どんな形であれ、カヲルも自分を求めてくれるという、麻薬のような歓喜。
あの時、自分しか守れないような自己防衛は、カヲルを得るために投げ捨ててしまった。自分だけ無傷で何かを得られることなんてありえないと思う。本当に望むものと引き換えにできるなら自分の何もかも捨てる気持だったからこそ、シンジは天使を捕まえることができたのではないのか? あの時諦めてしまっていたら、と思うと、今だに背筋がぞっと泡立つような思いがする。
本当は、あの時、世界なんてどうでもよかった。
シンジにとって世界とは、カヲルがいてこそ意味があった。それまで、世界はシンジによそよそしかったし、シンジは期待することの虚しさや叶わないせつなさだけを学んできたから。
それをあっさりと塗り替えたのはカヲルだ。崩れかけた天使像の上で振り向いた頬を赤く染めていた夕日の色、風のような声に彩りを添える波音。…好きというコトバとともに。
眼に映る、「カヲルの存在する世界」があんまり綺麗に見えたから、カヲルを失った世界は一切の色を亡くして見えた。
全てが色褪せた世界が戻ってきたところで、壊れた心でそれにどんな意味を見出せただろう?
起き上がろうとした体には、隣で寝ているカヲルの腕が絡んでいた。
その甘い重みに、起き上がるのも忘れて白い寝顔を見詰める。
薄い色の前髪の隙間から見える頬はなめらかで、淡い色の睫は閉じられた瞼を柔らかく縁取る。扇情的に薄く開かれた唇も、そこからわずかに洩れる吐息も、何もかもが信じられない程の力でシンジを魅了する。それが彼という使徒の一種の武器だったのかも知れないけれど、それは単なるきっかけにすぎない。
顔だけが彼だとしたら?…こんなにも彼を望んだだろうか?
こういう時、カヲルのいう“知りたい”という欲望、それが自分にも確かにあると実感する。
こっそりと、起こさないように、その吐息を盗むように唇を触れさせてしまうほど ―― こんなにも、カヲルをもっと知りたいと願うのだから。
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