シンジ君とカヲル兄さん(2)

■設定…
 (1)の1年前のカヲりん。





 眼が覚めてカヲルは、普段より高いベッドの温度に軽く息をついた。
 昨日、寝た時にはなかった塊を、背中に感じる。
「…?」
 気がつくと、寝ていたときに着ていたシャツの片袖が抜かれていた。ややぼやけた視界に、半身を起こして枕元に置いてあった眼鏡を手に取る。それをかけてクリアになった視界で、その温度の発生源を振り返った。
 黒い頭が、シーツに潜り込む形で寝息を立てている。
「…また…」
 カヲルは軽くため息をつくと、自分の膝に片肘をついて、丸くなって寝ているその塊を見つめた。

 3日から5日くらいの割合で、シンジはこうやってカヲルのベッドに潜り込むようになっていた。大抵は、カヲルが寝た後に、こっそりと部屋に入って来る。何度かは、レポートを仕上げるために深夜まで机に向かっている時に、何か訴えたそうな眼をして、無言で部屋に入ってくると、寝たくても寝れないカヲルの横で、堂々とカヲルのベッドを占領して寝ていた事もあったけれど。
 レポートがある時や実験が佳境に入ったり、特にゼミが忙しい時期には、こうやって潜り込んで来るのが頻繁になる。自分も帰宅するのが遅いので、そういった時期は、シンジを構ってやる事ができにくい。どうやら、この行状はその事に対する抗議のようなものらしい。

 何故かシンジは――もっとずっと子供の頃から――特にカヲルに懐いていた。従兄弟の中でも、同い年の女の子…レイやアスカではなく、年の離れたカヲルの後ばかりをついて回っていた。もっとも、レイは年令よりも大人びた物静かな子だしアスカはかなり奔放で勝ち気な子で、シンジにすればどちらも苦手らしい。年は離れてても同性のカヲルに懐いても無理はないところだ。

 …そう、単純に思っていた、ここに下宿するまでは。

 2年前、大学に合格すると同時に両親の海外転勤が決まった。それに伴い一人暮らしをする予定でいたのだが、一人暮らしを始めると聞いたシンジの両親が、いっそ自分達のところへ来てはどうかといいだしたのだ。
 正直なところ、一人で暮らす事に対する期待と解放感もあって、初めは断わるつもりでいた。しかし、カヲルが入所を希望している研究所勤務の彼等に是非にと云われてしまうと分が悪い。将来、希望通り研究所に入所できた時に「身内」だという変な色眼鏡で見られたくないので、と話をするつもりで二人に逢うと、逆に話があると云う。よく聞いてみると、叔父と叔母が揃って昇進してしまい(本来なら良い事なのだが)春からやっと中学に上るシンジがほとんど家に一人になることを心配しているらしかった。
『勝手なお願いなんだけど、…あの子をできるだけ一人にしたくないの。お手伝いさんを頼もうかとも考えたんだけど、シンジは結構人見知りしてしまうし…。その点、あの子は人一倍カヲルさんに懐いてるでしょう?もしかしたら親の私達よりも、心を開いてるかもしれないわ』
 シンジの母であるユイの言葉に、実際には平静を保っていたものの、カヲルは内心では皮肉な笑みを漏らしていた。
  シンジ君が、僕に心を開いてるって?
  ユイ叔母さんも、意外に判ってないな…
 あれは、このひとが思うようなものじゃない、と、カヲルは心の中でつぶやいた。
 そんなカヲルに構わず、叔父夫婦はカヲルを説得しようと話し続ける。
『何もあの子にべったりついていて欲しいという訳ではないの。カヲルさんだって外泊する事もあるでしょうし、そのあたりは自由にしてもらって構わないのよ。ただ、シンジの側にカヲルさんが居れば私達も安心だし…何とかお願いできないかしら?』
 親族中で一番美人のユイ叔母に頭を下げて頼まれてしまうと、逆らうのもなんとなく躊躇われてしまう。
 しかも転勤する両親にはとっくに話が付いているようで、そうなってはカヲルの意思などあってないようなものだ。
  僕がいれば安心だとは、なんとも「常識的」な観測だ。
  これが、年頃の娘なら、ちょっとは警戒もするんだろうに。
 嫌と云うわけではなかった。ただ――
 とりあえず、考えさせて欲しいと云ったものの。

 その夜、携帯にかかってきた1本の電話。
『カヲル君、僕と一緒にいるの、…嫌?』
 結局、僕はシンジ君の電話越しのこの言葉に折れた。通信状態のせいだろうか…泣きそうな声に聞こえて。
「――嫌じゃないよ」
『僕のこと嫌い?』
「まさか。好きだよ?」
『じゃあ、一緒に住んでくれる?』
 僕はちょっと返事を躊躇った。
『…やっぱり…僕の事…』
 シンジ君の声が、小さく歪んで、僕は軽い頭痛のようなものを憶えながら――
「どうして君は、そう早とちりするんだい?…まだ僕は何も云ってないのに」
『いいの?カヲル君!』
 それはもはや、僕が碇家に下宿する事を承諾するという意味でしかなかった。

 碇家に移るにあたって、叔父夫婦は全面的な配慮をしてくれた。彼等の家の空き部屋の一つを僕の部屋にあてがってくれただけでなく、彼等の有する膨大な書籍や貴重な資料・文献を、僕に解放してくれたのだ。その事だけをとっても、下宿したことは十分メリットがあった。しかも、アルバイトを覚悟していた僕に、シンジ君の勉強を見てくれればそれ相当のバイト料を払うとまで云ってくれた。さすがに彼等の好意に全面的に依存することはできず、短時間のアルバイトはしているものの、それ以外は大学の友人が羨む程の環境だ。大学までは片道30分で貴重な蔵書を満載した書庫付きの下宿なんて、探してあるもんじゃない、と。
  それだけなら、僕だって、ため息をついたりはしないんだけどね。
 カヲルはシーツにくるまるようにして眠っているシンジを見詰め続けている。
 まだ舌も回らないうちから、「かをっくん、かをっくん」と、逢えばいつも後ろを付いて来た。長い休みには泊まりに来て、必ずと云っていいほど一緒に寝ると言い張って。周りからみれば、それは随分と微笑ましかったかも知れないけど。
  子供が本当に大人の望む通りの「コドモ」かどうかなんて、
  外から見ただけじゃわかりっこないんだよ…
 いつからか、カヲルは、シンジの視線が辛くなった。
 真直ぐに求めて来る大きな黒い瞳。
 それが何を云っているのか――判らない訳じゃない。
  君がもう少し「大人」だったら、僕もとても助かるんだけど。
 無防備にさらけ出される好意。あけすけな子供らしさと、裏腹な幼さ。どこまでがシて良い事で、どこからが「間違い」なのか、君を見ていると判らなくなる。こんなふうに、自分に欲望を持った男のベッドに潜り込む事がどういう意味なのか、判っていながら、判ってない。そんなところだけは残酷な子供らしさで、無邪気な寝顔で僕に罪を唆す。
「いっそ、思い切って何もかもさらけ出してしまえたら、と、思うよ…」
 僕は、6才も年下の男の子に、こんなにも飢えた欲望を持っている。
  僕の頭の中身を見たら、きっと君は泣き出してしまうだろうね。
 カヲルはそっと手を伸ばして、きついほどシーツに埋もれているシンジの体を直してやる。壁と自分の隙間に入り込んでいた華奢な体。幼さを残す故に逆に艶かしさを助長するそれを、体をずらして楽な姿勢にしてやると、うっすらと開かれた唇が吐息のような声を漏らした。
「…をる…ん…」

 いつまで、この、薄氷を踏むような状態でいられるだろう、とカヲルは思う。
 シンジは自分を求めている。
 そんなことは判ってる。
 自分だってシンジが欲しい。
 けれど、

 簡単に体を繋いで「大人」にしてしまうことは、シンジのこのアンバランスで、それ故眼が放せないこの魅力を壊す事になりかねない。

  ねえ、シンジ君?
  もう少しこのまま、僕を楽しませてよ。

 カヲルは、眠るシンジのこめかみに、そっと口づけた。
 シンジが起きている時には決してしない行為だった。





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postscript

当時はヘタクソなお礼絵をつけてたのですが、これもあまりにも古すぎるので外しましたー。