花散る水面

オレンジ色の液体は、真水よりも少し重い。
そのせいか、深く沈もうとするにはやや難しく、そのかわりに浮かび上がるのは少しはやい。
はっきりとした濃度の差をかんじるわけではないけれど、うすく血の色を思わせるそれは、真水よりも肌に馴染んだ。




シンクロテストが終わった後、いつものミーティングを終えて解散した時に、隣に立っていたカヲルがふいに手を取ってちいさく囁いた。
「この後、ちょっとつきあってよ」
そのままほかの二人と部屋をでながら、彼はまるで姿を消す魔法を知っているかのように、途中でふいに通路をそれた。きっと、二人はしばらく経つまで私たちがいないことに気がつかないだろう、それほどの自然さで。

「おもしろいところをみつけたんだよ」

きっと君も気に入ると思って、と、カヲルは私の手を取ったまま歩き出した。あることは知っていたけれど、用がないから通ったことがなかった通路を通り過ぎ、エレベーターでしばらく昇ると、さらに人気のないキャットウォークに似た金属の階段を何階層分かあがった。暗い通路にカヲルの黒いスーツは溶け込みがちで、彼の手に私の白いスーツに包まれた手が引かれていなければ、細い背中を見失いそうだった。
どこまでいくのだろうと私が疑問を浮かべるたびに、カヲルは振り返って笑いかけてくる。つないだ手を通して考えている事が伝わっているのかもしれない。その笑みは秘密を含んでいて楽しげで、だから私はあえて行き先を問わなかった。

「ついたよ、レイ」

そういったカヲルは、暗い通路の突き当たりで、腕のパーツに埋め込まれたIDをセンサーにかざして扉のロックを解除した。大きなレバーを下げて重そうな扉を押しあけると、そこはそれまでに比べようもなく明るい場所。いつのまにか建物のかなり上の部分までやってきていたようで、全面をガラスで覆われた床から天井まで続く大きな窓には夜空が透けていた。

「職員のための施設のひとつだってことだよ」

それを聞いて、私が「私たちは使っていいの?」と問うと、「僕らだってネルフに所属してるんだから職員ってことなんじゃない?」と私を扉の中へと導きながらカヲルがいう。でも、ほとんど使われていないらしくて。大人ってもったいないことするよね、といって笑った。
それは、私たちのような子供が二人で使うにはあまりにも大きな水面。
そしてそこに満たされているのは、私たちがよく知っている液体だった。

「僕らには、水よりも馴染むだろうと思ってね」

数歩先に歩んだカヲルがタイルのふちで足を止めた。通常なら水が満たされているであろうそこを満たしていたのはLCLだった。
大きな窓から入り込む月光がオレンジの水を銀に光らせる。照らされた水面は、そばに立ったカヲルの上にも複雑な光の文様を投げている。その幻惑的なきらめきが、私たちを原始の海へと誘うよう。

「おいでよ」

私と同じ色素の薄い白い手が、ためらいなく私へと延べられる。すんなりとした長い指は、指先や関節が私よりもほんの少しだけ固い。柔和さを失っていないものの、それは異性の持つ指だった。

「…泳ぐの?」

そう問うた私に、同じ赤い瞳が微笑む。
同じだけれど、私よりもずっと雄弁な赤。その瞳に浮かぶ遊色が言葉以上に私を甘やかす。
ええ、わかってるわ、それがとても気持ちがよいことだというのは。

「シンクロテストもそれなりに面白いけど、こっちの方が楽しいでしょう」

かしゅ、と軽い音をたてて、体をぴったりと圧し包んでいたスーツがゆるむ。彼が圧着のスイッチを押したせいだった。するりと指が滑って、私ののど元からスーツを引きおろしていく。

「…脱ぐ必要があるの?」

あらわにされていくのを止めるでもなく、私はささやく。
その問いともいえない言葉に、再び彼は笑う。

「…着てる必要はあるの?」

まるであらかじめ決められた言葉をなぞるかのように。
本当はこれが息苦しいということ、彼はそれを知っていた。彼自身もそうなのだから。私と彼の感覚はとてもよく似ていて、時々何かで繋がっているのかと思うくらいに近しい。そう、言葉で肯定しなくても。
なので、私も彼の手首のスイッチを押した。くすくすと笑いながら、ね?と目線が再び誘う。
私もゆっくりと黒いスーツをおろすと、そこには同じ、白い体があった。
例え性は異なっても、同じものから作られているのがありありとわかる。触れるたびにそこから浄化されるような感覚は、カヲルとだけに共有できるものだった。
二人ともで互いに脱がし合い、私が足下にわだかまったそれから足を抜くと、彼も最後はそれらをまとめて蹴り飛ばすように足を抜いて、声をあげて軽やかに笑った。

「いこう」

そう、柔らかい声で低く囁くと、彼は私を抱いたまま、オレンジの水面へとダイブした。



飛び込んだ深みには、オレンジの光沢を持った銀色の泡が立ち上る。
この液体は呼吸ができるから、水中で息を殺す必要がない。ただ、最初と最後だけは違った。陸で息をしていた名残の空気を吐き出すための数瞬と、水の中で息をしていた名残の液体を吐き出すための数瞬だけは、どうしても苦しい。
けれど、それさえ通り過ぎてしまえば、魚のように自在に呼吸することができる。
その最初の数瞬を、私たちは互いの体を抱きしめてやり過ごした。

体を少し離すと、カヲルの瞳も私を捉える。オレンジの水底は、すべての色を同じトーンに変えるけれど、水中でなお彼の瞳は光を失う事がない。どちらからともなく手のひらをあわせ、指を絡ませた。そのまままぶたを閉じるとむしろ明るく感じる。そしてその後は、ゆっくりとくちずける。触れるだけのそれ。そして、徐々に深く。ひとしきり唇をあわせて舌を絡め合うと、時間が止まったような気分になる。私たちはそのまましばらく静かに水底で額を寄せ合った。揺らぐ髪の感触と、体温より少し低いLCLの温度。繋がった指と指。互いの体の中で奏でられている音楽に耳をそばだてているようなこの時間は、限りなく穏やかで優しかった。

ふと、まぶたを開くと、同じタイミングでカヲルもまぶたを上げていた。視線が出会って笑む口元はまるで幼い子供のようだけれど、その瞳は私と同じ年頃の少年のものだ。
オレンジ色の液体は、真水よりも少し重い。そのせいか、深く沈もうとするにはやや難しく、そのかわりに浮かび上がるのは少しはやい。水面へと漂いだした体を二人で魚のように操る。カヲルは息をするのと同じ気楽さで滑るように泳いだ。私もその後を追い、時にそれは逆転して入れ替わる。肌を包むLCL、はっきりとした濃度の差をかんじるわけではないけれど、うすく血の色を思わせるそれは、真水よりも私たちの肌に馴染んだ。命の水のよう。この中で永遠に生きて行ける気がするほど。
そんな事を思ったころ。
カヲルが両手を私のほほにかけた。うすく唇を開いた拍子に、こぽりとごく小さな気泡が私の唇を滑り出る。ほほに滑るカヲルの唇、それがゆっくりと首筋を伝うのを感じる。幾度か甘く歯が立てられ、幾度か少し強く吸い上げられた。表現のしようのない、戦慄とも安堵ともつかない震えが幾度も肌を走る。
私もカヲルの手首をとって、彼と同じに彼の肌の上に唇を滑らせる。骨の形がよくわかる手首から、やわらかな肘の内側を通り、締まった二の腕から、尖った肩まで。鎖骨のくぼみ、滑らかな胸元、細い首筋。互いにあちらこちらに薄赤い花びらを散らし合えば、官能がゆるやかに満たされて行く。陸の上ならきっとため息の花がいくつも咲いたことだろう。
月が満ちたように私たちは、それが元からの形だったのだというように体をつなげた。ゆるりと押し入ってくるカヲルの器官を、私の器官が滑らかに迎え入れる。熱さと、浮遊感。とても気持ちがいい。満たされている、その感覚が他のすべてを凌駕した。



やがて私たちは、抱き合ったまま浮かび上がった。数瞬の苦しさと、その後の開放感と。
名残を惜しむように絡んだままの手足−−月明かりにあらわになる肌は、ほんの少し水面より沈んだり浮かんだりと、気まぐれな波に揺れている。
私の肌に浮き出た赤い跡の上を、カヲルの白い指先がなぞる。

「何かの花びらみたいだ」

数日で消えてしまうのがもったいない気がするね、と、カヲルは目を細めてわらう。
けれど、カヲルの手首にだって、同じものが浮き出ている。私の口づけの跡が。
真水よりも肌に馴染むそのミズにたゆたいながら、それはカヲルのいうように、水面に散った薄赤い花びらにみえた。
それがすぐに消えるのは、確かにもったいないような気がする。

「でも、この花は、いつでも咲ける花だわ…」

私はカヲルの手首の赤い跡を指先でなぞりながら、小さく呟いた。


you wish ? -- ...retuern texts

postscript

マヂで練れてませんが、夏場は新鮮さが一番のキモです。そうなのです。(ぉぃ)
色素薄い使徒組ちゃんラヴ。