Circle of unity.

 遠い彼方に砂塵が捲き上がっているのが判る。
 それほどに広い荒野だった。
 緑を探すことは、視界の中で岩と呼べるものを探すことよりも難しいと思えるこの土地で、白っぽい空の高い高い位地で、翼の大きな鳥だけが緩く旋回を繰り返していた。
 旅はいつから始まっていつ終わるのか、歩き続けてきた自分にも定かではない。何を求めているのかも、何処にいけばいいのかさえも。
 
 高い空の中で、視界の中で一番優雅に見えるその大きな鳥は、その雄大な翼を鉄の翼にも似せて、はばたくこともほとんど無く、巻き上がる上昇気流にのみ身を委ねているように思えた。いつからか、その鳥はいつも自分の前にいた。何という名前の種族かも判らない、けれど既に馴染んでしまったその影は、まるで自分の気持ちの影ででもあるかのように、常に幾らか先に存在している。後から追い抜かれた記憶もなく、どこからかやってきたという憶えもない。それだけに、その影は本当の自分自身の影のように――まるで、体と心が分離して、感覚だけが高みへと釣り上げられてしまったかの如く――深い親愛の情を抱かせるかたちをしていた。
 私はその影に名前をつけた。
 黒く判然としない、光を背負った輪郭は鈍く銀に縁どられ、まるで自分の分身のような影に、私が与えた名前。
 それは言葉でもなく意味をも持たず、ただ私の心で影に呼びかけるときの愛しさだけを顕わしていて、音ですらなかった。影を意識したときに沸き上がる気持ちがそのまま影の名前となった。何故なら、
 どうして顔も知らない影にふさわしい言葉を見つけられるだろう?
 そして、どうしてどんな声を持っているかも知らない影にふさわしい音をみつけられるだろう?
 そしてなお、いつから、いつまで、何故そこにいるのかも判らない影に、私が「意味」を押し付けることが出来ただろうか?
 ゆえに名前は、存在意義を持たない記号だった。ここでは、存在しているものの本質以外に重要なものは何一つ無い。その「本質」がただ「自分とは違う」というそれだけのものでも、反対にそれ以外のものは些末事であるにすぎない。それがどういう過去を持っていたとしても、時間の経過すら定かでないこの地で、では過去というものは意味を持ち続けられるのだろうか。果たしてその必要が在るのかどうか?
 心の中で影に意識を寄せるとき、平坦な心象風景の中に一筋の風が起こる。私が影につけた愛しさとはそういうもので、それはあるいは感謝にも似ていた。その感謝は私と影を切り離された別個の存在として位置づけ、そのために私が影を愛しく思えるのだということを表すものだった。自分以外の何かを愛しく感じる私は、自分自身しか愛しむ対象を持たない私よりも数段幸福に思えたので。
 
 過去。
 ふと、その言葉が比喩でなく本当に意味を持たないものであると、突然私は「思い出した」。過去が過去たりうるには現在と未来が必要なのだ。
 だが、この地において未来とは?
 まして、現在とは何だ?
 カコ・ゲンザイ・ミライ・それらは音の羅列となって、私の内から抜け落ちていった。時間――ジカン・は、いったい何を意味するものだろうか。何かを差し示す言葉か、何かを表す言葉か、抜け落ちていったものがそれらを構成していたのだろうか――構成――コウセイ・とは、何なのだろう。私は自分の中がこんなにも空虚なことに戦慄した。
 
 見回した視界にはもはや荒野はなかった。空も、光すらなく、空をゆくはずの影も、そこにはなかった。その突如とした「孤独」に、私は打ちのめされた。まるで、闇の中で母とはぐれた子供のように。ああ、どうして――崩れるように座り込むはずの地面すらない。私はただ何もないそこに、点として在るだけの極小の存在だった。
 
 どれだけの空虚の後にか。
 無明の中の極小の点としてのみ存在を許された私の前に、黒い影がいることに気がついた。そして、その事実は私を他者に対しての自己へと引き上げ、そのおかげで、私は点からもとの私自身にと立ち戻ることが出来た。
 
 舞降りたそれは、私の親愛であり感謝でもある影だった。これほどの間近にあってもその詳細を理解し得ないでいる私に、影は問いかけてきた。問いかけてきたけれど、それは言葉でも音でもない、波動のような形で。
  ドコカラキタ?
 形として影の中に瞳を見つけていたわけではないものの、その波動は影の瞳に当たる部分――少なくとも、私にはそう取れる――から発していた。
  こことは違う場所から。
 私は波動に波動をもって応えた。
  ドコヘイク?
 黒い黒い、輪郭すら辿れない私に影の意思は推し量ることは出来なかった。
  こことは違う場所へ。
 答えなければならないという無意識の義務感と、影に対する親愛と感謝と尊敬と、そして私自身を形作る衝動にも似た感覚だけで、私は答えた。
  ナンノタメニ?
 その瞳に愛情をみたと思うのは間違いだろうか。それとも、愛情と見まがうばかりのつよい何かを、視たと思うのは間違いだろうか。影は大きな翼をたたんで何もない虚空に止まっていた。はばたきの音を聞いた事が無い影の、それは本当に鳥なのだろうか。
  その答をみつけるために。
 
 世界は荒涼として、楽園ではなかった。あるとき起こった圧倒的な光が、その配下の悪意と病と恐怖とを駆使して世界を壊してしまっていたので。
 私は降り注ぐ雨となり、大地に溶け、緑となって世界を循環する。緑は鳥の糧となり、その亡骸はふたたび地に還るだろう。いつかこの地が楽園となり、全ての意味と言葉と音があふれ還るそのために。
 
  オマエニナマエヲアタエヨウ。
 
 私は影により名を与えられた。
 意味をもたないものでありながら意義をもち、音を必要としないながら理をもった、輪廻という旅するものの名前を。


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postscript

これは、実は何年も前に書いたものだったりします。
確か、私もまだ若かった92年の春だったと…(爆)
前の会社でIC設計の検証のジョブを流している待ち時間に、確か2時間ほどで打ち込んだものです。
いやあ、我ながらこれを読むと、私がカヲルに転ぶのは、もはや必然だったことが判りますね。
私が思うアダムとタブリスの関係に似てるし、私がカヲルソングだと思ってるポルノの「アゲハ蝶」にも似てる部分が…(笑)