あひる隊長

「臨時ボーナスが出たの!みんなの秋物を買いにいかなきゃ!」
始まりは、叔母さんのその一言だった。それにアヤが「きゃぁ!」と素直な歓声をあげて欲しかったデザインのスカートをねだり、叔母さんが「まかせなさい!」と胸を張る。そこまでなら微笑ましい休日の朝の風景だったと思う。
「美鶴は何が欲しい?」
昨日も残業で帰りが遅かったはずの叔母に、にこにこと笑ってそう振られたけれど、別に俺には欲しいものなんてなかった。
家を処分したお金はローンの残金返済や葬式等の諸費用に充ててしまったし、両親の保険金は大学までの学費にするといって叔母さんが大半を定期にしたまま。23歳の独身女性に子供を押し付けた親戚達から送られてくる養育費は決して多くない。叔母さんの残業が多いのも俺達兄妹を養うためだ。
衣食住といった金銭面だけでなく、いきなり押し付けられた小学生2人の保護者としても、叔母さんには普段から本当によくしてもらってる。何かお返しをしたいのは俺の方で。けれど、小学生という身の丈ではそれは叶わないのが悔しい。
「…俺は、別に。アヤだけで十分だよ、叔母さん」
服なんかは適当に着れればそれでいいし、靴だって少し前に新しく買ってもらったばかりだ。十分なことをしてもらっている。
ボーナスがでるほど頑張ったのは叔母自身だ。だからむしろ、俺なんかに使うより、そのぶん叔母さんが欲しいものを買えばいいと思う。本当なら、稼いだお金で旅行に行ったり習い事をしたりと、自分の好きに使えるはずの年頃なのだから。
「ええ? それはダメよ美鶴。皆でお買い物に行くんだから、帰り道には皆が手にちゃんと袋を提げてないと!」
なんだそのよく判らない論理。
それに、夕飯のための買い物とかと違って、人混みが苦手なだけに繁華街に洋服を買いに行ったりというような買い物は気が進まない。
そう思って宿題が…と遠回しに断ろうとしたけれど、叔母さんは一歩も引かなかった。
「だって、私が美鶴に何か買ってあげたいんだもの。ねぇ、いいでしょ?」
叔母さんがうるうるした眼で、
「お兄ちゃんとお買い物!」
アヤがキラキラした眼で、揃って俺を見る。
最近二人はこういう連係プレーを覚えてしまった。
…つまりは、多数決により「芦川家お買い物ツアー」が議決された、ということだった。


そんな事情で、叔母さんとアヤとに連行されて、繁華街に買い物に出ることになったのは約5時間前。
『女の買い物は長い』
これは真実以外の何物でもないと今回も再確認するはめになった。
連れ込まれたファッションビルの華やかなウインドウの前を通るたびに二人の足が止まり、あっちの服の形がかわいいとか、あの靴の色がいいとかの会話が展開され、店に入れば入ったで、まるで花に誘われる蝶のようにひらひらふわふわと服や鞄や靴に飛び回る。そんなふうに、一時も止まっていないのだ。
妙齢の独身女性である叔母さんはともかく、まだほんの子供のアヤまでが叔母さんと対等に今年の流行色がどうだとか話すのを聞くと、なんだか空恐ろしい気がしてくる。会話の中に出てくるファッション用語らしい言葉の半分も理解できない。まるで男とは違う星の生き物みたいだ。

「あ! ここの服、好きなのよー」
一声上げた叔母さんとアヤが連れ立って入った店のなかにあった椅子に、俺はぐったりと座り込んだ。どうやらこの店はファミリー向けになっているようで、大人の服と子供の服が揃っている店だった。二人はすでにあれこれと物色している。小学生で元気一杯のアヤはともかく、昨日も帰宅が遅かったのに、なんなんだ、叔母さんのあの底の知れないバイタリティは。間に昼ご飯を食べて休憩したとはいっても、嵩張る荷物はもちろん案外と歩いているのに、まるで疲れを知らない。俺が半ば呆然と二人を見ているうちに再び気に入ったものをみつけたらしく、揃って試着室に消えた。

「美鶴ー? どう、これ?」
「お兄ちゃん、似合う?」
試着室から出てきた二人がモデルのようにくるりと回って見せる。うふふ、と笑う二人は年の離れた姉妹のようだ。
叔母さんが選んだのは秋らしい色の葡萄の模様のワンピースで、アヤが選んだのは大柄な花模様のスカートだった。
流行などは興味がないけれど、身内の欲目を抜きにしても叔母さんは綺麗だしアヤは可愛い。
「二人とも似合うよ」
間違いなく本音でそういったのだけれど、…
これが通算7件目の店でなければ、俺の顔も強張らなかっただろうと思った。


*****


結局なんだかんだと連れまわされ、ついでに半ば強引に俺の服と靴も見立てられて、叔母さんが最初に言った「皆が手にちゃんと袋を提げて」いる状態になった。
店員にあれもこれも見せてという叔母に焦って「そんなにたくさんいらない」というと、「だって美鶴に似合いそうなんだもの」と返される。「飾り甲斐のある弟さんですものね」という店員のお愛想に味方を得て、二人掛かりであれこれとシャツだのジャケットだのと押し付けられた。アヤさえ叔母さんたちの側で、「これかっこいいよ!」だとか「こっちよりさっきの方がいいなー」だとか、まるで着せ替え人形のような有様だった。
だから日も暮れだして、そろそろ帰ろうかと三人で駅に向かって移動し始めた時には「やっと帰れる」と本気で安堵した。それくらいに俺は疲れていたせいだ。
だが、素直に駅にたどり着くことはできないらしく、二人が今度は途中でアクセサリーショップに寄ると言い出した。指を指された方を見てみると、店先から店の奥まで、ピンクや紫、フワフワやキラキラの洪水だ。しかも客も店員も女ばかりで。
「…うっ、」
うぞっと背筋を冷たいものが走る。さすがに限界だ。勘弁して欲しい。
こればかりは一緒に店に入る気になれるわけもなく、斜め向かいにある100円ショップにいるから、と言い捨てて逃げ出した。


白を基調にした店内には細々とした雑貨があふれていたけれど、今朝からずっと女物の服やピンクやキラキラの洪水を見た後では、むしろほっとするほど落ち着いて見えた。並んでいる一つ一つがシンプルな形ばかりだからかもしれない。
叔母さんやアヤが楽しそうなのはよかったけれど、今日は本当に疲れた。気を抜くとぐったりと肩が下がりそうになる。普段自分が担当してる食料の買出しや、塾の短期講座で朝からずっと勉強してたって、こんなに疲れたりしないぞ。
たぶん、自分の意思で行動するというより、あっちへこっちへと取り留めなくただ付いていかなければいけないのが疲れる原因なんだろうと思う。叔母さんの気持ちを無碍にはしたくないけれど、回数は減らしてもらわなければ、そのうち過労死しそうだと思わず深刻なため息が漏れた。
きっとあの店でも半時間は夢中だろう。
その間立ち尽くしてぼーっとしているのも何なので、安い文房具でも見繕いに店の奥に進んだ。

ノートだとか消しゴムだとか、消耗品を安く買えるから、こういうコインショップを覗くのは嫌いじゃない。
そういえば理科のノートがなくなりそうだったと思い出し、余計な装飾のないものを選び出す。それからオレンジ、イエロー、グリーンのラインマーカーのセットを一つ。繁華街の中にあるだけあって、近所のコインショップより充実している。こういう店がもっとマンションの近くにあればいいのにと思う。正直言って、俺がお金を払って買いたいものなんて、実際にはこの程度のものなのだ。なぜなら。
笑顔のアヤと、嬉しそうな叔母さん。
のんびりと続く平凡な日常。
自分に向かって伸ばされる手、呼ぶ声。
大事なものは全部、お金では買えないものばかりで。

後はざっと見回しながらレジに向かって移動しようとしたとき、ふと、それが眼に飛び込んできた。
それは何の変哲もない、黄色いあひるのおもちゃ。
小さい子供がお風呂で遊ぶようなやつだ。
普段ならそんなものに眼がいくことなんかないのに、今はそれから眼がはなせない。
どうしたんだろう、どうでもいいものがどうでもよくないだなんて、わけがわからない。
自分でもよくわからない衝動で、何となく手にとってみた。

ワンコインで買えるおもちゃは、値段なりのごく単純なつくりをしていた。
それは何処からどう見ても、単なるソフトビニールでできた黄色いあひるに過ぎないというのに、何故だかやたらと主張されている気がする。馬鹿馬鹿しい想像だと自分でも思うのだけれど、眼が合った気がして…手に取った今では、あひるに何かを言われてるような気がしてくるのだ。
(おもちゃがしゃべるわけないだろ、何考えてるんだ、俺。)
そう思いながらも、自然と手のひらに乗るおもちゃのオレンジのくちばしに眼がいく。
「──あ」
わかった。
「似てる…」
亘に。
くちばしの突き出たところが、特に。

何かに夢中になった子供の口元が半開きになってることはよくあるけれど、亘の場合は普段から唇を突き出すのが癖らしかった。ゲームをしてる時や問題を解いているときなんかに、よくそういう風になっているのを思い出す。
本人は大抵は無意識なのだが、亘もそんな自分の癖には無自覚のようで、それがあいつを余計に幼く見せる事もあれば、変にやんちゃそうに見せる事もあった。
おもちゃのあひると亘に思わぬ接点をみつけたことで、見れば見る程似て見えて、黄色い頭に描かれたマンガっぽいくるっとした眼まで全部が亘の顔に見えて来て仕方がない。
じわっと笑いがこみ上げて来た。
こんな場所であひるを手に一人で思い出し笑いするなんて、思いっきり変な奴だろ。
そんな格好悪い真似ができるかと棚に戻そうとするものの、自分でも本当に馬鹿らしいと思うのに──それを置く事ができなかった。
棚に戻そうとした一瞬、まるで手の中のあひるが泣きそうな眼をしたように思えてしまったのだ。
止まった手の中からこちらを見ているあひるの顔が、お人好しの顔とだぶる。
俺は、欲しいものもあまりないし、そもそも無駄遣いは嫌いなんだ。こんな、似て見えるだけでどうにもできないようなおもちゃに100円出すくらいなら、120円出して亘本人と神社でサイダーでも飲む方がいいに決まってる。
心底そう思うのに。
『一緒に帰ろう、ミツル』
ああもう、こんな時になんでそんな幻聴が聴こえなきゃならないんだ…。
「ありがとうございます、315円になります」
(最近、亘のお人好しが伝染ってきてないか、俺…)
結局レジで払ったのは、ノートとラインマーカーと…黄色いあひるの代金、だった。


「お兄ちゃん、なにかいいことあったの?」
帰り道、手をつないだアヤがにこにこと見上げて来た。その反対側の手には、買ってもらったスカートや靴が入った紙袋を幾つも下げている。持ってやろうとしたら、よほど嬉しかったのか、「いいの、自分で持つ!」といって混雑した地下鉄もずっと頑張った。アヤも遠からず買い物好きの女の人の仲間入りをしそうだなと思う。できればまだしばらく先のことであってほしいが。
「…いいこと?」
「うん。だってー、お兄ちゃん、さっきからなんだか凄く嬉しそうなんだもん」
え、と虚を突かれた俺に、アヤの向こうから叔母さんまでが相槌を打って来た。
「そうそう、なんだか凄く楽しそうよね。途中ではあんなに疲れたって顔してたのに」
ねー、と女性二人が顔を見合わせて笑った。
興味津々と言った風に伺われたが、言える訳がない。思い当たる事といったら、あれしかないのだから。
絶対に言えるもんか。
…亘みたいなあひるをみつけたせいだ、なんて。


*****


夜、風呂から上がってそろそろ寝ようと思ったとき、机の上に置いたままだったコインショップの袋が眼についた。
中からノートとペンを取り出して引き出しにしまうと、袋の底に残ったあひるにちらりと視線を投げる。
白い袋の底でひっくりかえったままのあひるは、なんだかまた泣き顔っぽい。
「…なんでこんなに亘に似てるんだ」
放っとけない感じなんか、そのままじゃないか。
半ば自棄になってあひるをつかみ出すと、俺はそのままベッドに座り、ぱたりと横になった。気分はそうでもなかったけれど、正直なところ、やっぱり体は疲れてる。
寝転んだまま、手に持っていたあひるを電灯にかざしてみた。
こうしていると、ほのぼのとまるっこい眼は、とうてい泣き顔には見えない。
「なんであのとき、泣きそうに見えたんだろ」
ぼんやりと手の中で角度をかえて眺めていると、「あれ、」──ふとあひるの表情が変わって見えた。
試しにもう一度、上目遣いになるような位置から、あひるをゆっくりと回してみる。
間違いない、上から見た時は笑ってみえるのが、下から見ると、なんだか情けなく泣き出しそうな顔になるのだ。
なんのことはない、単なる眼の錯覚なのだが、かえってその単純ささえ亘に似ている気がして、くすりと起きた笑いの衝動を納める事ができない。コインショップで無理に抑え込んだツボをつかれてしまった。まぁここは店じゃないしなと、黄色い顔にオーバーラップする亘の顔を思い出しながら、ひとしきり笑った。
笑いがようやく収まると、急に眠気がさしてくる。
立ち上がってつけっぱなしの電灯を落とし、布団に潜り込んでからまだそれを持ったままなことに気がついた。
なにやってんだ。ガキか、俺は。
ぬいぐるみがないと寝れないような年齢の子供じゃあるまいしと思いながらも、横になった体はまったりと睡魔に引きずられて行く。手も足も重くて、もう一度起きて机にあひるを戻すには、包まれた布団は暖かくて心地よすぎた。
眠りにおちる一瞬前、眼に入ってきたあひるは笑っているように思えた。
──まぁ、泣き顔じゃないなら、いいか。


*****


月曜の朝、学校に行く途中でいつものように亘と合流した時に、つい黄色いあひるの顔を思い出してしまった。
「…なに笑ってんの、美鶴?」
「や、ちょっとな」
えー?と理解不能だと首を傾げる仕草が、余計に似て見える。
「変な美鶴ー」
首を傾げる亘に、アヤが言い出す。
「お兄ちゃんね、一昨日からご機嫌なの!」
「ふぅん、何があったのかな?」
まだ背の低いアヤに、亘は軽くかがむようにして言葉を返す。そんな風にさりげなく気遣うので、アヤは亘にたいそう懐いていた。
「それがね、アヤにも教えてくれないんだよ」
「ええ、アヤちゃんにも? ひどいねー」
「ねー」
こらこら、亘、お前は俺と同じ男のはずだろ。お前までそっちに行くなよ。
放っとくとどんどんアヤと結託しそうな亘を軽く睨んで、俺は頬を引き締めた。
睨まれてちょっと驚いた亘の口元は、やっぱりあひるみたいに突き出ていて、吹き出しそうになるのを堪えないといけなかったけれど。
「ほら、早く行かないと遅れるぞ、あひる隊長」
亘にはさらに意味不明だろうけれども、種明かしをする気はなかった。
「変な美鶴ー」
愛すべき日常があればこそ、
「たまには無駄遣いもいいかもな」
そんなふうに思える事もあるのだと思う。


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postscript

この後は、アヤちゃんが偶然あひるのおもちゃを見つけて、お風呂に持ち込んだりしてお兄ちゃん複雑…とかなればいい(笑)
実際には小学生になったらあひるのおもちゃとかで遊ばないだろうけど、ウチのアヤちゃんはかわいいもの好きな設定です。

それにしても、美鶴とあひるの組み合わせって萌えませんか!?
みったんみたいな綺麗な子がレジにあひる持ってきたら、きっと恥ずかしくて少し顔が赤かったりしてそうで、私だったら何事かと思って萌えまくると思うな!w
ただ客として居合わせただけでも、きっとこっそり写真とって腐友に写メしまくるに違いない!(犯罪です)

叔母さんと美鶴やアヤちゃんと美鶴の会話はもちろん、叔母さんとアヤちゃんの会話とかも想像すると楽しいなー。
小説の叔母さんはもの凄く繊細そうで、それこそ働き始めたばっかりなのに事件のせいで混乱してて、美鶴を引き取っても色んなことがキャパをオーバーしちゃうような感じでしたが、映画の方に合わせてアレンジすると結構しっかりした性格も出てきそうだなと思ったり。
そのうち、亘のお母さんと意気投合すればいいw
最近通販で買ったご本の中に、自分が考えてた叔母さんの設定と被るネタがあって、あ、やっぱそういうのもアリだよねーwと思ってしまいました。
てゆーか、すでに話の骨子もあるんですがー、そこまでいくと叔母さんと亘ママがメインの話になってしまうので(笑)
当面はやっぱ美鶴や亘の話が書きたいです。
ももの後の仲直りの話も書かずに、この話では仲直りしちゃってるしねw

この系列の話は、基本が「亘と美鶴を幸せにし隊!」コンセプトなので、自分でも書いててかなり調子乗ってると思います。
「ワタミツの切ないイメージが崩れた!」って人がいるかも。 ここで謝っとこう。ごめんなさいw(反省してないけど)

※今更なんですが、掲載時に入れようかどうしようか迷ってカットした、寝る前のシーンを追加しました。